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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

平群谷の古墳① ~三里古墳とツボリ山古墳~

2013-12-26 17:12:31 | 史跡を歩く
 長屋王と吉備内親王墓のある奈良県の平群町には、古墳時代の後期から終末期に築造されたと考えられる古墳がいくつかある。せっかくの機会なのでそういった古墳も見学してみることにした。

 道の駅から、長屋王墓をめざして歩いていくと、三里古墳と書かれた標識があり、それにしたがって急な坂道を登っていく。比較的古くからあるような民家を抜けていくと三里古墳と書かれた看板が見えてくる。飼い犬に吠えられながら石段を登っていくと、三里古墳の前に出る。

 この古墳自体は、墳丘はかなり破壊されており、石室の天井部分もきれいになくなっていた。ただ、石室の基底部分に組合せ型の石棺の破片が残っている。

 

 位置から考えると、たぶんこの後ろにも石棺がもう一つあったんじゃないだろうか。
 
 この古墳の珍しいところは、石室の奥壁に石棚が設けられているところで、奈良県では3例しかないとのこと。僕も初めて見ました。この古墳の墳丘について、かなり破壊されていますが、もともとは、前方後円墳か円墳ではなかったかとのこと。築造は、6世紀の中期から後期とのこと。平群谷の古墳では、比較的古い古墳のようです。

 

 古墳からは、馬具などの副葬品が出土しており、県指定文化財となっています。この古墳も県指定の史跡になっている。 

 また、そのあと、竜田川の西側に向かい、平群町の役場の前を通ってさらに山の方を登っていくと、高級住宅地っぽい住宅の間に、ツボリ山古墳が残っている。この古墳もぎりぎりまで住宅が迫っており、全体を眺めることが難しい状況になっている。大きな住宅の間を登っていくと、三里古墳同様南側に向かって、石室が開口されていた。古墳の入り口に柵がされていて石室の中に入ることができないが、いきなり家形石棺が目に入る。

 

 奥にももう1基存在しており、羨道部分の石棺は後に追葬されたもののようだ。

 

 石室は、両袖式であり、石組みは2段となっている。かなり後世の改変を受けているが、方墳だったようだ。築造は7世紀前半とのこと。この古墳も、県指定の史跡に指定されている。
 
 この平群谷の古墳の被葬者を考えると、古代豪族である平群氏が想定されるのだが、これらの古墳が築造され始めるときには、伝承ではすでに平群氏は勢力を失っており、考古学的な見地と食い違う状況になっている。(また、平群谷には、古墳時代中期と想定される古墳が存在していない。)もしかしたら、継体天皇以降に現れた比較的新しい豪族なのかもしれない。

 
 

 
 
 
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