先日、紅葉狩りと洒落こんで、大阪府は河内長野市(近頃は奥河内なる呼称を使っているようだが、)にある観心寺に行ってみることにした。
観心寺は、その創建は古く、飛鳥時代の末、大宝元(701)年役小角により開かれたと伝わる。その後、空海がこの地を訪れて、むずから如意輪観音像を刻んで安置し、寺号を観心寺としたとされる。
中世に入り、楠木正成など、河内の豪族であった楠木氏の菩提寺となり、その関係で楠木正成の首塚や南朝の天皇、後村上天皇桧尾陵や行宮跡などがある。
この時は、紅葉が真っ盛り。色とりどりに変色した樹々の葉、真っ赤な絨毯と化した道。後村上天皇舊跡と刻まれた石碑の横をすり抜けて広場の方へ行くと、真新しい歌碑が一つ置かれていた。
會津八一の歌碑で、歌碑には「なまめきて ひざ に たてたる しろたえ の ほとけ の ひぢ は うつつ とも なし」と氏の墨跡をもとにして、制作されたものである。歌碑の横の石板には、歌と歌意が記されており、それによると「なまめかしく膝の上に建てられている白い肘は、とても美しく、まるで現実を越えた夢のようである」ということになる。
この歌は、作者が観心寺の本尊、如意輪観音像を前にして、六臂像と呼ばれるように6本の腕があり、その一手が頬を支えるとともに、その肱が立膝をしている膝の上に置かれている、その姿の美しさに魅せられて読んだものである。
ただ、残念なことに、本尊の如意輪観音像は、秘仏のため、見ることのできる日が限定されており、この日は見ることができなかった。ただ、霊宝館の中に、この如意輪観音像の試作品と言われる仏様があり、ぞれを拝むことができた。
平安時代の初期の仏像らしく、神秘的な雰囲気を持った仏像であった。
そして、「自註鹿鳴集」には、もう一首、観心寺の如意輪観音像を歌ったものが収録されている。それを引用してみよう。
「さきだちて そうがささぐる ともしびに くしきほとけの まゆあらはなり」というもので、歌意は、先導する僧侶が捧げる燈火に、神秘的な怪しい仏様の長くて濃い眉がくっきりと現れてくるということでしょうか?
仏像を、金堂の中で、ろうそくの光で見たのだろうか。暗い堂舎の中に浮かぶ上がる神秘的な雰囲気を持つ仏像、何かいいね。仏像は、お堂の中で眺めるのが一番いいと思う。
そして、この會津八一の歌碑は、たぶん、大阪では唯一のもののように思う。
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