鳥見山の東側に回り込んだのち、押坂のあたりから、今度は山の南側を歩く。桜井市の清掃工場を越えると右手に山の方に入る階段がある。
この階段を登って、まっすぐ北へ向かうと舞谷2号墳の石室が見えてくる。この階段は、もしかしたら舞谷2号墳のためだけに造られたのかもしれない。
藪の中を歩いて10分も歩くか歩かないかというぐらいで舞谷2号墳の石室が見えてくる。
藪の中から徐々に姿を現してくる。なかなかのワクワク感、嬉しいものがある。
舞谷2号墳の登場!そういえば、磚槨式石室を持つ古墳を初めて見た。この手の石室を持つ古墳は、桜井市のこの辺りに集まっているらしく、それ以外では、奈良市の黄金塚古墳ぐらいであるそうだ。黄金塚古墳についても、現在は陵墓参考地として九j内庁が管理しており、石室の内部を見ることはできない。
さて舞谷2号墳であるが、その名称が示す通り、この辺りには、舞谷古墳群と呼ばれており、5基の古墳がこれまでに見つかっている。
鳥見山の南麓にある並行する尾根に一つづつ古墳が見つかっている。それぞれが、磚槨式の石室を持つ古墳であるそうだ。このうち舞谷3号墳は、発掘調査の結果、一つの墳丘に三つの石室を持つ特徴のある古墳である。
舞谷2号墳については、東西10m、南北9mの長方形墳で、石室については、羨道部はすでにほとんど破壊されており、わずかに残っている程度である。玄室は、長さ2.4m、幅1.35m、高さ1.7mとなっており、側壁から徐々に持ち送りをしていて、屋根がㇵの字型になっている。
石室の内部には、全面に漆喰が塗られていたらしい。漆喰を塗ることで、小さい石材を使っても石室が作れるところにこの工法のメリットがあったようである。
開口されている玄室の部分と羨道部がどんな感じで繋がっていたのか興味が湧いてくる。この古墳は、7世紀の中頃に造られたと考えられている。
ちなみに石室の中の石仏は後世のものである。
この形式の古墳を見たのは、先にも書いたが全くの初めて。ちょっと感動ものだった。
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