舞谷2号墳を見学した後、ふたたび元の道に戻り、少し西へ向かった後、新たに別の尾根をめざして、竹藪の中にはいっていった。
竹藪に入ると、すぐに足場の悪いところがあるが、注意しながら奥へ入っていく。ここからは、古墳探訪などという生易しいものではなく、ほとんどガチのアスレチックである。かなりの傾斜のある道(?)を木の幹や枝などをつかみながら登っていった。目印にビニールひもでマーキングがされているので、それを探しながら、ひたすらに登っていく。
古墳探訪で、軍手が必要だと実感した次第。10分ほど進むと、ぽっかりと横穴式石室が開口していた。
これが、こうぜ1号墳の東石室である。こうぜ1号墳は、複数の横穴式石室を持つ珍しい構造をした約50mほどの前方後円墳であるのだが、正直、雑木林がかなり生い茂っているので、古墳の形はさっぱりわからない。この東石室は、前方部のくびれ部の近いところにあるらしい。※Googleマップの航空写真で見ると、こうぞ1号墳のある森が前方後円墳のようには見える。
ちなみに、こうぜ1号墳というのだから、2号墳、3号墳というのがあるのではないかと言うと、実はあるのはあるのだが、すでに破壊等されていて、その痕跡ぐらいしか残っていないらしい。
この藪のどこかにあったらしい。
石室の中に体を滑り込ませてみると、入り口のところはかなり土砂で狭くなっていて、背中にリュックを背負っては入れないような状態。
羨道から、玄室の中に入ると立ち上がって観察できるぐらいの高さがある。
玄室の中にも土砂がかなり流入しているため、本来の高さはわからないが、3mはあると推定されている。奥壁は3段か4段で組まれており、上に行くほど狭くなる持ち送りとなっている。
玄室の中は、かなり暗いので、懐中電灯が必要。写真を撮るにも、デジカメのファインダーが真っ暗なので、ほとんどカンで適当に撮ってみるしか仕方なかった。今後の課題だなあ。
玄室から羨道部を取ってみると、何となく両袖式であることがわかる。
羨道部もかなり狭いので、ほふく前進に近い状態で、かなり体をかがませないと通れない。お腹がしんどい。
なかなか、冒険心を誘ってくれる古墳ではある。正直、一人で行くとかなり怖い気がする。できれば複数の人数で行くことをお奨めします。
まあ、こういったところをちょっと泥んこになりながら、横穴式石室に入っていくのが、古墳探訪の醍醐味でもあるのですけどね。
この後は、もう一つの石室、西石室へ向かう。
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