貝吹山古墳や風吹山古墳などがある久米田公園を後にし、少し東へ行くと久米田寺がある。お寺に入る道の左手に五輪塔がおかれた小さい円墳がある。
これが光明塚古墳と呼ばれるもので、直径25mほどの円墳である。聖武天皇の皇后である光明皇后の遺髪塚という伝承があり、古墳の頂点には、光明皇后陵と側面に書かれた比較的新しそうな五輪塔が建てられている。発掘調査等行われていないため、詳細はわからない。ただ、陵墓のようにきちんと管理されているようである。
光明塚古墳の道を挟んだ反対側にも光明南塚古墳があるらしいのだが、まったく気づかなかった。残念無念。
しかし、貝吹山古墳については、橘諸兄の墓という伝承があり、この光明塚古墳については、光明皇后である。この辺りは、橘氏をつながりがあるのだろうか?橘諸兄と光明皇后は、実は異父兄妹である。
久米田寺は、行基が開削したため池である久米田池を管理するために、行基が天平10(738)年に創建したと伝えられる。
お寺の境内の雰囲気が、庶民的というか民衆の信仰を感じるところがある。境内には大師堂もあるので弘法大師信仰もあるのかな。僕が訪問した時は、結構参拝客の姿があった。
行基にしても弘法大師にしても、ため池を作ったり、橋を架けたり、困窮者の救済を行うなど社会事業家の側面があるよね。
久米寺の境内は、府の史跡に指定されている。この場所をもう少し左へ行ったところに、石造の五輪塔が3基並んでいる。それぞれ聖武天皇、光明皇后、亀山天皇の墓と伝えられている。おそらくは何の関係もないと思うが、こういう伝承があるところが寺の歴史を感じさせる。
亀山天皇は、南朝の始まりの天皇。久米田寺が、楠木正成などの南朝方の人物とかかわりが深いことから、そういう話が伝わったのだろう。
そして、久米田寺の前に大きく広がるのが久米田池である。
久米田池は、行基が、神亀2(725)年から天平10(738)年の14年かけて造られたと伝えられている。池の三方が自然地形の台地で囲まれており、久米田寺のある側に堤防を造り、川を堰き止めて、構築したため池である。
面積は45.6ha、周囲2.6kmと大阪府で一番大きいため池なのだそうだ。(ちなみに狭山池は、日本最古のため池であり、面積は、38.9haである。)
僕が訪問した時は、かなり水が少なくなっていて、池の底が見えているところもあった。
久米田池の堤防を歩きながら、運動広場のある公園で一休み。そこでなんとつむじ風に遭遇。珍しいこともあるもんだ。
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