goo blog サービス終了のお知らせ 

休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

禁野本町遺跡第220次調査 現地説明会

2017-02-11 19:03:38 | 現地説明会
 平成28年12月18日(日)
 最近は、枚方市という名称を「マイカタ市」と自虐ネタに使い、またひらパー兄さん岡田准一の主演映画「海賊と呼ばれた男」に乗っかり、「マイカタ市とよばれた街」といったキャッチコピーを操る枚方市で奈良時代の住居跡が出たいうニュースを聞き、せっかくの機会だから行ってみようとお手伝いに行っていた地元の餅つきを早々に切り上げ、禁野本町遺跡ってあまり聞いたことがないなあと思いつつ、調査地である高校ラグビーで著名な常翔啓光学園高校へ向かう。

 ところが、説明会資料を見て、びっくり第220次って、すごい長い期間の蓄積のある発掘調査ではないか!自分の不明さを恥じいるばかりである。

 禁野本町遺跡については、1986年から始まっており、国の特別史跡に指定されている百済寺跡の北側に広がる遺跡であり、百済寺を建立したと考えられる百済王氏が奈良時代の後半に、摂津国百済郡から、この地に住み着き、これまでの調査から平城京のような方形街区を伴った都市が形成されていたのではないかと想定されている遺跡である。
 今回は、奈良時代の後半と考えられる掘立柱建物、井戸、街区を区画する溝などが検出された。
 
 【調査地全景】

 

 掘立柱建物は、南北に3間、東西に2間以上の建物と考えられている。建物の東側については、雨水管の埋設工事で失われているため、これで終わるのか広がるのか不明とのこと。ただし、東に溝1の遺構が見つかっているので、広がってもあと1間分ぐらいであろう。

 【掘立柱建物】

 

 掘立柱建物の東には溝1の遺構が見つかっている。この溝は、先ほどの掘立柱建物の柱穴列と並行して伸びており、街区を区画する南北溝と考えられている。この溝は、百済寺や方形街区の主軸の方位とほぼ同方位であり、西へ4度ふれているとのこと。

 【溝1】

 

 また、掘立柱建物の西側にも、溝2が見つかっているが、これは、先の溝1と方位が全く違っており、また、比較すると深い溝になっている。地形に伴う水路と考えられている。

 【溝2】

 

 よく見ると、畝に溝の跡がはっきりと土の色の違いで残っているのがわかる。

 【溝2】

 

 また、溝2からは、土師器や須恵器が捨てられた状態で見つかっており、もしかしたら生活に使われていた水路なのかもしれない。

 【出土した遺物】

 

 調査区の東南部からは井戸の遺構が見つかっている。遺物を見て、ここの学校と思しき高校生が、こんなきれいな形で出てくるんやって感嘆の声を上げていた。


 【井戸】

 

 遺構面から2m掘り下げたがそこが見つかっていないとのこと。かなり深くまで掘って作った井戸であるらしい。こうした高台に都市上の集落を営むことが出来たということは、かなり深くまで井戸を掘って、生活用水を確保できる技術があったからこそできるものなのであろう。

 【柱穴】

 

 調査区の西側に、ポツンと一つ柱穴の遺構らしきものがあった。どこにつながるのものなのかわからないようだ。ただ、過去この調査区の北側も調査を行っているが、この柱穴につながりそうなものは見つかっていないようだ。

 今回検出された遺構は、奈良時代の後半の宅地等と推定され、これまで見つかっていた方形街区に見られる都市計画に従って作られたと想定されている。奈良時代に平城京や難波京など以外に都市計画によって作られた集落があったというのは、意外と知らなかったなあ。

 まだ、日が高いのでせっかくの機会なので百済寺跡も少し覗いてみようかな。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿