令和4年9月23日(祝)
今年は壬申の乱が1350年という事で、奈良県ではいろいろな場所で壬申の乱に関連するいろいろなイベントが行われている。今回は、桜井市の観光ボランティアガイドの会が主催する歴史ハイキングに参加してきた。
壬申の乱については、少し憶い入れがあり、学生時代に古代史について、面白いなあと改めて再認識したのが、北山茂夫氏の「天武朝」「壬申の内乱」「万葉の時代」だった。そんなことを憶い出して今回の企画に参加してみた。
この日は何と大雨。それでも集合場所のJR巻向駅の広場には30名ぐらいの人が集まっていた。まあ、台風も近づいている雨の中、酔狂な人はいることはいるのである。(笑)
しかし、かなりの雨で、三輪山も雨でけぶってうっすらとしか見えない。
【雨の中の三輪山】
まずは箸墓古墳、この古墳の後円部のすぐ側を上ツ道が通っており、ここで大友皇子方と大海人皇子方がぶつかって「箸陵(はしはか)の戦い」が行われたと言われる。すると日本書紀が編纂された時には、この古墳が、箸墓という名称で呼ばれていたという事になるのかな。
【箸墓古墳】
このあと、大海人皇子方で活躍した三輪君高市麻呂の邸宅跡と伝えられる大直禰子神社や中ツ道の戦いがあった竹田の原などを巡って歩いた。お昼を過ぎたころに漸く雨も上がり、目の前に多武峰の山々の姿が見えた。
【大直禰子神社】
【竹田の原推定地】
横大路と中ツ道が交差する場所に三輪神社という小さなお社があり、ここが大海人皇子方の窮地を救ったとされる5人の奴たちがいた大井寺があった場所だと伝わる。面白いことに、交差点の水路の中に礎石が一つ置かれている。(境内にもそれらしき岩があった。)
【伝大井寺跡】
【伝大井寺の礎石】
ハイキングは、ここで解散。ボランティアガイドの皆さん、ほんとに雨の中お疲れ様でした。
お天気はもう一つでしたが、いろいろな憶い出に浸ることができた一日だった。
追記 大神教の本院拝殿の看板は、柳本大塚古墳出土の木棺を再利用したものであるらしい。
【柳本大塚古墳の木棺】
【大神教拝殿】
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