馬見丘陵公園の梅も、早くも5分咲きぐらい。今年は、記録的な暖冬のおかげで早そうではある。ただ、そのことは、古墳探索ができる季節が短くなるということではあるのだが・・・。
佐味田宝塚古墳から、馬見丘陵公園に戻って、再びいくつかのいくつかの古墳を見て回ることにする。中央エリアから入るとまず、馬見丘陵公園館があり、中には、巣山古墳の復原模型などが置かれている。
また、パネルで馬見古墳群の代表的な古墳の解説などが置かれているのだが、個人的には、馬見古墳群の古墳の編年図が気になった。
馬見古墳群と言っても、大きくは3つの地域に分かれており、少しづつ築かれた時代がずれている。始まりは比較的古い。世界遺産となった古市・百舌鳥古墳群よりも古くから築造は始まっているようだ。被葬者は、大王家ではないものの、それを支える大豪族の墓地だったんだろうか?
歴史館の建物の向かって右手の植込みの所におそらく古墳の石棺の一部と思しき石材が三つ置かれていた。
全然、説明板等がないので詳細はわからないのだが、縄掛突起状のものや組合せ用の溝などがあることから、石棺に間違いないと思うのだけど・・・。
どなたか詳細がわかれば教えていただければと思います。
公園館に近いところに、別所下古墳と呼ばれる古墳がある。近くに乙女山古墳やナガレ山古墳があるせいか、馬見丘陵公園にある古墳の中で、存在感が薄く、いつも見逃してしまうのだが、今回は初めて存在を確認することができた。
芝生の丘の上に、雑木林が藪のようになっていて、目を凝らしてみると中に墳丘らしきものが見える。これが別所下古墳で、直径約60mほどの円墳である。発掘調査では、墳丘の一段目から円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪などが見つかっている。築造は4世紀後葉だそうで、この中央群に属する古墳としては一番古いと考えられている。
墳丘の周りには柵がめぐらされており、中に立ち入ることは残念ながらできない。佐味田宝塚古墳の所でも書いたが、せめて下草ぐらいは刈ってほしい気がするのだが、どうであろう。荒れた気がしてならない。ただ、費用が掛かるので何とも言い難い所ではあるが・・・。
南側はまだマシか。後ろを振り返るとナガレ山古墳の姿が見える。(ナガレ山古墳についての記事はこちら→「馬見丘陵の古墳⑤ ~佐味田石塚古墳群・ナガレ山古墳~」
別所下古墳から、菖蒲園の方を周って、古墳の丘を歩く。古墳の丘という割に古墳がなさそうなのだが、実は、ここにもカビタ古墳群と呼ばれる4基の小古墳がある。
古墳の丘の中に2から4号墳があり、遊歩道をまたいで1号墳がある。
よく目を凝らして観察してみると、墳丘がある。
写真では、全く分かんないなあ。難しい。説明板を見て、あれがそうかなとは思うのだけども・・・。
2号墳と3号墳は、どちらも円墳だそうで、4号墳は、墳形が不明。位置は、3号墳が一番丘の上にある。2号墳は説明板の真後ろ。
一号墳は、方墳で、周濠もあったようだ。
ベンチの前辺りは、方形状に少し高まりがあったような気がした。築造は、3号墳が5世紀前半、1号墳が5世紀の中頃、2号墳が、ちょっと下って7世紀初頭、4号墳が7世紀の前半と言われている。馬見丘陵公園には、小さい小古墳もいくつか見つかっているのだが、あまり表示がないのでさっぱりわからない。都市公園として整備されているからだろうか?
ここからは、池の間の道を通り、南エリアへ向かうことにしよう。
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