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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都の伝説を歩く【13】 平忠盛灯籠

2020-08-09 22:40:32 | 文学をたどる

 四条通を東へ進むとちょうど東大路通と交わる三叉路の行き止まりにあたる場所に八坂神社がある。この辺りは京都でも一二を争う人通りの多い場所になる。そういえば、いつの間にか漢検の漢字ミュージアムなるものも出来ていた。

 

 大勢の人が行き交う八坂神社であるが、神社の本殿には、参拝する人が多くいる中、本殿の東側にひっそりと八坂神社の摂社や末社に挟まれて、一つの灯籠が立っている。

 

 平忠盛灯籠と言われる灯籠である。平忠盛と言えば、平清盛の父であり、西国の海賊討伐で活躍し、その功により、平氏として初めて内裏への昇殿を許され、伊勢平氏の繁栄の基を築いた人物である。

 その平忠盛であるが、「平家物語」にこういう話がある。ある日、祇園社(今の八坂神社)を白河上皇が、平忠盛を供に境内を通り抜けようとしたところ、怪しい光を発しているものがある。「鬼」かと思い、白河上皇は供の平忠盛を呼び、討ち取らんとしたところ、忠盛は、冷静沈着に観察し、それが、灯籠に点火して歩いていた社僧であったという。そして、忠盛の冷静な態度のおかげで無用な殺生をせずに済んだ白河上皇は、褒美といて自身の寵愛する祇園女御を忠盛に与えたという話である。その後日談があり、その時、祇園女御は、白河上皇の子を身ごもっており、その子が平清盛であり、清盛が白河上皇の落胤であるという話の元になったものである。

 

 祇園女御自身は、名前の通り、祇園社の近辺に住んでいたのであろう。(そういえば、八坂神社の近く、円山公園を南へ抜けたあたりに祇園女御塚と言うのがあったように記憶しているが・・・。)白河上皇がお忍びで通っておられたのかな?

 祇園女御と呼ばれた女性は、実在していたらしい。ただし、忠盛のもとに嫁されたということはなかったようである。むしろ定説としては、祇園女御の妹の子であり、その子を祇園女御が猶子として養育していたというもので、そのため清盛は武家の子としては異例の昇進を遂げたというものであろうか?平清盛の落胤説については、積極的に肯定する学者もおられますな。(大学の時、日本史を習った先生は割と積極的に肯定されていたと記憶する。)

 平清盛は、この後、平氏を率いて、「平家にあらずんば人にあらず」と言われるほどの栄華を築くこととなった。最近では、鎌倉幕府の先駆的な軍事政権というような捉え方もあるようだ。

 しかし平氏の栄華もあっという間に没落してしまい。海の中に消えてしまった。このはかなさが、平氏が源氏よりも、日本人に愛された理由なのだろうと思う。

 

 忠盛灯籠のすぐそばには、美容水なる清水が湧き出ていた。美人のなるのだそうだ。


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