ウワナベ古墳から、国道バイパスを渡って、東南方向に進むと、不退寺と言う古寺にでる。奈良らしい素朴な感じのするお寺で、周辺は住宅が立ち並んでいるのだが、このお寺の周辺だけは、いまだに昔からの景観を残している。
不退寺は、「不退転法輪寺」と言う寺名が略されて不退寺と呼ばれるようになったと言われ、その創建は古く、平安時代の初期、奈良で亡くなった平城天皇が、嵯峨天皇への譲位後、この地に「萱の御所」を営んだところで、平城天皇の第1皇子阿保親王がこれを受け継ぎ、さらにその子在原業平が、仁明天皇の勅願を受けて、寺と改めたものである。
この由来から、不退寺の裏には、在原業平の供養塔と言われるものが残っている。
このお寺、訪れる人も少なく、隠れ寺のような面持ちで非常に好ましい雰囲気だった。境内に四季折々の花が植えられていたのだが、訪れた時期が、墳活にあわせて冬だったので、折々の花を見ることができなかったのは残念であった。
この境内の中庭の隅に、蓋のない刳り抜き型の舟形石棺が一つ手水鉢のように置かれている。石棺の身が所々くぼんでいるのは、昔、近くの農民が、砥石の代わりに鎌などを研ぐのに使ったためだという。
この石棺がどこから来たのかということだが、現在は、この不退寺の西、ウワナベ古墳から、南に200mほど下ったところに、現在は国道24号線になっている所で、平塚1号墳、2号墳と2期の古墳が、昭和43年バイパス工事に伴う発掘調査で見つかっている。
平塚1号墳は、墳長約70mの帆立貝型古墳で、平塚2号墳は、墳頂約73mの前方後円墳である。これらの古墳も平城京の建設のため、墳丘を削平されており、2号墳は、奈良時代の邸宅の庭園に利用されていたと考えられている。
そして不退寺の石棺もこの平塚1.2号墳のいずれかから持ち出されたと考えられている。(ウワナベ古墳の近くで見つかったとの伝承もある。)
雨ざらしも何なんでもせっかくなら覆い屋でもあったらいいのだが・・・。
ちなみに不退寺の裏にも不退寺裏山古墳と呼ばれる古墳が、墳頂約85mの不退寺裏山古墳と呼ばれる古墳があるのだが、綺麗に見逃しおりました。残念、無念。
いつか、もう一度不退寺を訪れたいと思っているのでその時に改めて在原業平の供養塔と一緒に探すことにしよう。
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