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近鉄富田林駅を下車、外環状線を渡って、府営緑が丘住宅の団地を抜け、少し山林の中に入ったところにお亀石古墳と呼ばれる古墳があると書くと非常に簡単なのだが、案外古墳へたどり着くのは難しい。
古墳へのアクセス道が途中でなくなり、看板から丘の斜面をどう上がっていいのやら戸惑ってしまった。途中、麓にある池の所で、魚釣りをしていたおっちゃんに、ここ登って行ったらええねんとにこやかに言われたが、枯れ葉で道が隠れてしまった上に、訪れた前日の雨で、かなり滑りやすくなっていた。
とにかく、足を滑らさないように気をつけながら丘陵を上がると、お亀石古墳と書かれた説明板を見つけた。すると看板のすぐそばに、お亀石古墳の羨道があった。
お亀石古墳は、7世紀前半に造られた方墳で、家形石棺の前面部を開口し、そこに羨道をくっつけた形で、横口式石槨の祖型ともいえる形式をとっている。この形式では、通常横穴式石室では存在する玄室を省略していることになる。家形石棺の突起も残っており、もろ家形石棺である。
羨道を通って、石棺に近づくが、足元に水たまりができていて、なかなか近づくことが困難であった。
せっかくの中は、がらんどう何も残っていなかった。寝そべったら人一人はいることができるぐらいの大きさであった。
お亀石古墳は、平成14年の調査で、一辺21mの方墳と判明した。(少し前の本では、円墳と記述されている。)また、葺石や貼石等は検出されていない。
ちなみにお亀石の名称に由来は、古墳の墳丘を登ってみればわかる。
石棺部分の天井が露出しており、それを眺めると石棺の蓋の突起が、亀の手足のように見える。なるほど、亀のように見えるからお亀石古墳という名称になったようだ。
この古墳の墳丘の上に立って、眺めるとすごく山の奥に入ったような気になる。何とも不思議な場所に造ったものである。調べてみると、古墳の東西と北側が山に囲まれており、南側には水が流れるたにになっていることから、いわゆる「四神相応の地」になっており、風水思想に乗っ取って造られたと考えられている。
古墳からは、瓦片や須恵器などが見つかっており、近くにある新堂廃寺やオガンジ池瓦窯跡との関連が指摘されている。
被葬者としては、新堂廃寺を創建した氏族を想定することができるが、どういった人物が埋葬されたのかは歴史の闇の中というところか。
古墳のある場所から下りていくのが、また大変。滑らないように慎重に降りる。古墳のある丘陵のすぐ横にグラウンドがあり、子どもたちが野球に興じていた。落ちたらびっくりしたやろね。
この後は、新堂廃寺などを見学した後、富田林の寺内町まで足を伸ばして帰ろう。
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