飛鳥から桜井の方へ抜ける道(磐余の道)を歩くと桜井市との境に近くに飛鳥資料館がある。飛鳥を知るためには、ここを訪れないといけないような中心的な施設になっている。
エントランスを入ると、受付のすぐ左にあるのが石人像といわれる石造物である。
異国風の男女が抱き合っているように見える。もともとは、石神遺跡の周辺で見つかったものであるらしい。長らく東京国立博物館に保管されていたが、飛鳥資料館の開館にあたって、この場所で展示されるようになっている。通常、石人像と呼ばれているが、古い本だと道祖神像と呼んでいるものもある。
右手が男子像で、左手が女子像と言われる。座っている男に背後から女子が抱き着いているように見える。男女が仲良くしている姿から道祖神像と言われたのだろうか?
この石像の役割であるが、口の中に穴があけられており、足元から穴が掘られていて、胸元で二筋に分かれてそれぞれの口に繋がっているという。
噴水に関わる施設であったと言われており、出土地の近くにある石神遺跡との関連が注目される。そういえば、むかしむかし、漫画日本の歴史という本の中で、宮廷の庭園を描いた部分で、この石人像から水が噴き出ている様子を書いていたなあ。結構ちゃんと考証していたのだなあとふっと思った。
エントランスで石人像を見て、展示室の方に入ると展示室の隅のあたりに、円錐形の石を三段重ねた石造物がある。
表面には、一段目と二段目には山岳文が、三段目には波文が彫られている。二段目と三段目では文様が繋がらないことから、この間にもう一段か二段、石があったのではないかと言われている。
全体としては、海中に浮かぶ高山を表していると考えられ、仏教でいわれる世界の中心にそびえる聖なる山、須弥山を表していると言われている。そのため、須弥山石と名付けられている。
この石も中が空洞になっていて、途中枝分かれして表面に穴が穿かれていることから、噴水に関わる施設であったと考えられている。
須弥山石については、日本書紀の斉明天皇の条に出てくる饗宴場の庭園に造立された須弥山と関係のあるものと考えられている。実際、この石造物が出土したと伝えられる石神遺跡は、飛鳥時代の饗宴の場、庭園であったと考えられている。
須弥山石もその庭園を形作った施設の一部であったのだろう。
石人像や須弥山石についても、亀形石造物や酒船石と同様に水と関わる施設であった。飛鳥時代の後半は、水の都と言えそうな景観だったのかもしれない。
飛鳥資料館の庭園には、石人像と須弥山石について、復元したものが展示されている。
秋になると非常に須弥山石の後ろの山の紅葉が美しい。
そういえば、これらの石造物が出土した石神遺跡は、昔は、伝飛鳥浄御原宮跡と書かれた説明板があったが、いつの間にか石神遺跡という名称に変わっていた。
直木孝次郎さんの中央公論社版「日本の歴史」はまだそのままなのかな。
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