休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

東山の天皇陵をあるく② ~中尾陵・鳥戸野陵~

2020-04-12 01:18:25 | 史跡を歩く

 東大路通りを少し南へ下り、JRの線路を越えると、中尾陵、鳥戸野陵と書かれた石碑が立っている。そこから東入りし、少し登ると、仁明天皇女御藤原沢子中尾陵と呼ばれる陵がある。藤原沢子については、第58代の天皇、光孝天皇の母であり、関白となった藤原基経の母と姉妹ということしかわからない。

 

 道沿いに、陵の参道を示す石碑が傾いて立っており、細い道を入っていくと、拝所がある。

 

 制札には、「仁明天皇女御贈皇太后澤子中尾陵」と書かれている。贈皇太后とあるのは、没後、仁明天皇との間に生まれた時康親王が、光孝天皇として即位したことによる。

 なお、拝所については、立地の関係で正面から見ることはできない。

 

 よく見ると、生垣の中に小さな塚がある。平安時代の初期の墓制は、あんまりよくわからない。嵯峨天皇や淳和天皇の様に、山に散骨している例もある。どうなんだろう。

 

 中尾陵の拝所の横を抜けて、東へ行くと、剣神社という小さい神社に出る。

 

 鳥戸野陵へ向かうには、この鳥居の前の道を進んでいくことになる。この神社の前の道は緩やかな坂道になっていて、ゆっくりと登っていくと、上下に分かれる道がある。ここがポイントで、以前、Googleマップを使って、鳥戸野陵に行こうとしたときに、上の道を通るようにルートが示されていて、それに従っていくと、確かに鳥戸野陵の周辺には出たのだが、行き止まりという結果になってしまった。

 ここは、下の道を通り、京都一周トレイルと呼ばれる道に入る。

 

 すると、見事な枝垂れ桜のトンネルがあり、親子連れが写真を撮っていた。

 

 街なかにこんな風景があるんだあ、京都らしいなあと思いながら、住宅街の中を歩いていく。すると唐突に鳥戸野陵参道と書かれた石碑と石段があった。

 

 参道を登っていくと途中左に折れて、また登っていくことになる。ちょうどお昼ごろで、石段に腰かけて休憩を取られているご夫婦がいた。この日は、三月の末頃、ぽかぽか陽気であったから、気持がよいだろうな。また、京都市内もよく見渡せて眺望良好である。

 

  石段を登って、拝所へ向かう。拝所の前の空間も広く気持ちの良い景色である。

 

 平安時代から葬送の地として知られ、北の蓮台野、西の化野とともに三大葬送地とされる。具体的な範囲としては、北は、大谷本廟からこの鳥戸野陵があるあたりまでを指していたようである。

 この鳥戸野陵は、枕草子の作者として知られる清少納言が仕えた一条天皇の皇后定子の墓所として知られる。その他、醍醐天皇皇后穏子や円融天皇の皇后詮子などの平安時代の中期から末期の皇后の火葬塚などがある。

 

 皇后の定子については、関白藤原道隆の娘で、一条天皇のもとに入内、のちに皇后となる。一条天皇との間には、敦康親王や二人の内親王を生むが、わずか24歳という年齢で崩御され、本人の意向で鳥辺山に土葬されたという。

 その藤原定子の華やかな時代の宮廷の生活を綴ったのが、「春はあけぼの」という書き出しで知られる清少納言の枕草子である。

 

 鳥戸野陵については、領域内に、鳥戸野泉山古墳群と言われる古墳時代の群集墳が15基ほどあるそうだ。また、それ以外に平安時代のものと思われる低墳丘墓群もあるらしい。

 ちょっと歩き回って、それらしいものがないか探してみたが、残念ながら、それらしいものを見つけることはできなかった。

 

 ただ、山の上は日当たりもよく、うぐいすのさえずりもよく響き、また京都市内の眺めも非常によく、京都タワーや京都駅などを望むことができる。

 

 ここから見て思うのは、京都は、何処から見ても街の後ろに緑豊かな山々がある。それがいいのだろうなとふっと思いついたりしながら、石段を下りて行った。


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