WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

彼女の名はジュリー

2008年01月07日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 204●

Julie London

Julie Is Her Name Vol.1

 12/29~1/3の年末・年始の休みは、例年になくゆっくりできたように思う。ここ数ヶ月、この拙いブログの更新さえ困難な程忙しかったからそう感じたのかもしれないが、実際、大掃除などの雑事をこなしいつつも、物理的にも精神的にもゆったりとした時間を過ごせたように感じる。そういう心持ちで聴く音楽は格別であり、心にゆっくりと染みわたってくるものだ。

 ジュリー・ロンドンの1955年録音作品、『彼女の名はジュリー(Vol.1)』。年末に聴いたものの中で、私の心と身体に最も沁みた作品である。ジュリー・ロンドンを初めて聴いたのは昨年のことだったが、以来ずっと関心をもっている。どの収録曲も独特の雰囲気をもち素晴らしいが、やはり世評の高い「クライ・ミー・ア・リヴァー」は出色である。プレーボーイに悩ませられる女性のブルーバラードであり、原曲の狂おしい雰囲気を見事に表出した名唱である。1955年に全米ポピュラー・チャート9位になったヒット曲だ。

 ジュリー・ロンドンの歌唱は、そのハスキーなヴォイスから、《セクシー》とか《妖艶》とか《官能的》ということばで修飾されることが多いが、むしろ私はハスキーなヴォイスにもかかわらず不思議な透明感を感じる。それは、ベタベタしない質感であり、理知的ななにものかであるように思う。ややうがった見方をすれば、ある種の誠実さといっていいかも知れない。ジュリーは、同時代のセックスシンボル、マリリン=モンローと比較されることにある種の反発心をもち、「モンローと私は正反対のタイプ。モンローはセックスシンボル、私は主婦母親タイプよ」と語ったというが、そこにジュリーの理知的な側面を垣間見ることができると思うのは、考え過ぎだろうか。(良妻賢母が理知的だといっているわけではありません。念のため。)

 バックを務めるのは、バニー・ケッセル(g)とレイ・レザーウット(b)だ。名手バニー・ケッセルのアクセントのあるギターが見事だが、個人的には以前取り上げた『ロンリー・ガール』のアル・ヴィオラの方がジュリーにはよりマッチしているような気がする。