●今日の一枚 207●
Tom Waits
Closing Time
女手ひとつで田舎の小さな酒店を経営してきた妻の母親が、昨年末をもって店じまいをした。今夜はその慰労のため、妻たちはささやかな温泉旅行に出かけており、私は自宅にひとりだ。久しぶりに大音響で音楽を聴くチャンスだったのだが、初売りで購入した大型テレビで、日中に録画しておいた女子バスケットボールのAll Japan 決勝(富士通 vs JOMO)を繰り返し見たため、深夜のいまになって自室でひとり静かに音楽を聴いている。
《酔いどれ詩人》、トム・ウエイツの1973年作品『クロージング・タイム』、彼のデビュー作だ。シンプルなサウンドが歌の芯の部分を際立たせている。《酔いどれ詩人》というけれど、今聴くと、このころのトム・ウエイツはまだそれほどの《酔いどれ》感はなく、詩と歌を愛する素朴な男といった感じだ。しかし、だからこそ時々、歌心溢れるこのアルバムを無性に聴きたくなるのかもしれない。シンプルなサウンドだが、いやそれゆえに、メロディーの輪郭が際立ち、トム・ウエイツはひとつひとつの言葉を噛み締めて歌っているようだ。多くのミュージシャンがカヴァーした名曲ぞろいのアルバムであるが、私はやはり「グレープフルーツ・ムーン」の詩と旋律が心に響く。
物悲しく美しい旋律を聴いていたら、若くして伴侶を亡くし、女手ひとつで娘たちを育ててきた妻の母の哀しみを思い、人の生きる証について考えて込んでしまった。我々は誰でも人生というキャンバスにそれぞれの絵を描き、それを時代に残す。妻の母がいま振り返る、彼女の描いた生きた証の絵とはどのようなものなのだろうか。
『クロージング・タイム』(閉店時間)……。まったく偶然なのだが、今夜聴いている音楽は、妻の母へ捧げる歌のようだ。