◎今日の一枚 212◎
Giovanni Mirabassi Trio
Live
11月のことだっただろうか、突然、注文した覚えのないCDが届いた。よく考えてみると、だいぶ前に澤野工房のwebの懸賞に応募していたものが当選したらしい。すっかり忘れていた。フランスで活躍するイタリア人ピアニスト Giovanni Mirabassi のピアノトリオアルバムだ。2003年のLive録音盤で、澤野工房の限定盤(非売品)らしい。所詮、非売品=粗品盤だろうと思いつつ、試しに聴いてみると、意外なことに、これがなかなかいい。なかなかに繊細なタッチでよく歌うピアノである。何より、ピアノの響きが美しい。私好みのピアノである。ベースにもう少しだけ深みがあったらなどと考えたが、何せ非売品=粗品なのである。文句は言えない。そのことを考慮したなら、むしろ大もうけ盤である。
Giovanni Mirabassi は、現代Jazzファンの、あるいは澤野工房ファンの間ではかなり有名なピアニストらしいが、恥ずかしながら、私は名前すら知らなかった。試しにwebで検索してみると、1970年生まれの「21世紀初頭の最も重要なジャズアーティストのひとり」だそうだ。私よりかなり若い。「21世紀の…………」とは随分な表現だ。JAROに通報したくなる過大広告である。このような宣伝文句は当然話半分、あるいはそれ以下として考えるのがJazz業界の常識なのだろうが、同時に記された「叙情的、繊細、哀愁」などの魅惑的な言葉に心の予防線を破られ、警戒心を解除されてしまう自分が悲しい。「せつないまでに美しく、メロディと響きがいっぱい詰まっている」、「その指先から生まれる音楽は、静かにして、強い心の叫び」、「せつないまでに人の心に響きます」、きわめつけは「その指先から音列となってほとばしるイマジネーションは切ないまでに美しく聴く者の心に食い入り、ときに血を流させる」……。ああ、もう駄目だ。過剰で過大な表現と思いつつも、ふらふらっとひきつけられてしまう。
キース・ジャレットについて、《キースのソロ物が出るたびに、ちょっと迷いつつ必ず買う。あの『ケルン・コンサート』のすさまじく美しい旋律は出ないだろうと思いながら、やはり期待せざるを得ない》と語った寺島靖国さんの気持ちがよくわかる。『ケルン・コンサート』の夢がそのへんにごろごろ転がっているわけではないと思いつつも、それを求める欲望は抑えようもない。終わりがないということが、欲望というものの本質なのだ。
とはいえ、この非売品CDを聴く限りにおいては、『ケルン・コンサート』のレベルで論じられるかどうかは別にして、Giovanni Mirabassi というピアニストがどうやら聴くに値する存在であるらしいということは十分に感じた。webの宣伝記事・紹介記事からも 《 私のための音楽 》 ではないかいう予感がする。早速、注文し、本当に論ずるに値する作品であったなら、後日感想を述べたい。未知の演奏家を知り、その演奏に期待するというのもJazzを聴くことの楽しみのひとつだ。心はわくわく、どきどきである。