WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

心の原風景のようなものに出会う

2009年01月11日 | 今日の一枚(C-D)

◎今日の一枚 216◎

Charlie Haden & Hank Jones

Steal Away

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 1年間も更新できなかったもうひとつの理由は、妻の母親が倒れたことだ。妻の母親は、女手ひとつで田舎の小さな商店を経営し2人の娘たちを育ててきたが、一昨年末をもって店じまいし、悠々自適の老後を送るはずだった。店じまいをしてわずか2ヵ月後、脳梗塞で倒れた彼女は、田舎の何の設備もない病院に運ばれ、結局半身不随になってしまった。車で1時間かかる彼女の入院した病院へ通うこととその介護のため、物理的に時間を創り出すことができなかったわけだ。数ヶ月間、ちゃんとした治療も受けられずに半ば放置され、やっと容体が安定して妻の妹の住む仙台の大きな病院へ移ったのは、もう夏も近い頃だった。もう歩くことは無理だといわれた妻の母親だったが、リハビリの成果もあって、本当にゆっくりだが杖をつき足を引きずりながら歩くことができるようになった。12月からは、我が家で引き取って一緒に生活し、昼間はディ・ケアに通っている。とういわけで、現在私は介護中である。負担はやや増えたが、自分の親とともに暮らせるということで、妻はご機嫌である。障害をもった妻の母は涙もろくなり、よく自分の街を懐かしむ話をするようになった。

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 今日の一枚(2枚目だが)は、チャーリー・へイデンとハンク・ジョーンズのデュオによる黒人霊歌・聖歌・民謡集だ。1994年の録音である。ずっと以前によく読むブログの「ぽろろんぱーぶろぐ」さんが紹介した記事を読んで興味を持ち、購入したアルバムだ。チャーリー・へイデンとハンク・ジョーンズはただただまっすぐに曲の旋律を奏でていく。ぽろろんぱーさんの言うとおり確かに「いかにも渋すぎる」と思うし、「曲の良さに寄りかかったような演奏」なのではという気もするが、これまたぽろろんぱーさんのいう通り、不思議に後味は良い。何か懐かしい風景を見たような、不思議な安心感に包まれる。そういえば、ジャケットの写真も、どこか懐かしい、帰るべき場所のようにも見えるではないか。ヘイデンのアルバムには、カントリーミュージックやアメリカン・フォークのテイストがしばしばあらわれるが、そうした性向を隠さないヘイデンが私は好きだ。jazz業界にありがちな、演奏技術の腕比べや革新的で実験的な音楽世界の創造ではなく(それはそれで面白いのだが)、ただまっすぐに、何とてらいもなく、音楽を味わうように奏でるヘイデンの姿勢に好感を持つ。それは卓越した演奏技術と確固とした音楽観をもっているからこそ可能なことなのだろう。かつて実験的で挑戦的な音楽と格闘してきたヘイデンだからできることなのかもしれない。いや、あるいはもしかしたら、そうした心の原風景のようなものを捜し求めることは、チャーリー・ヘイデンにとっては十分に実験的で挑戦的な行為なのかもしれない。

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 障害をもった妻の母が涙もろくなったのもそうした心の原風景を思い出すからなのだろうか。


やはり、「スターダスト」は美しい

2009年01月11日 | 今日の一枚(K-L)

◎今日の一枚 215◎

Lionel Hampton All Stars

Stardust

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 1947年のジャスト・ジャズ・コンサートの模様を収録した、ライオネル・ハンプトン・オールスターズの『スターダスト』。大名盤である。ジャズ入門書などにも必ずといっていいほど取り上げられる超有名盤である。超有名盤であるが、私がこのアルバムを購入してちゃんと聴いたのは比較的最近のことだ。

 十数年前、山形蔵王の野外ジャスフェスティバルでたまたまライオネル・ハンプトン楽団の演奏に出会ったことがある。夏にスキー場で行われたライブである。そのときは、「とりたてて特徴のない普通のジャズ」という印象で、特に啓発される何ものかや、心を揺さぶる何ものかを感じなかった。むしろ、ずっと昔の有名人が博物館的に演奏しているという印象だった。それ以来、私の中のライオネル・ハンプトン株に高値がつくことはなく、ずっとこの超有名盤に接することなく過ごしてきたわけだ。 数年前に、たまたま仕事で知り合った年上の知人に薦められ、遅ればせながらこのアルバムを聴いた次第である。

 名盤という評価に異存はない。素晴らしい演奏である。特に冒頭の「スターダスト」の美しさは、多くの評者が論ずる通りだ。中には「ハンプトン一世一代のソロ」などという評もあるようだが、きっとその通りなのだろう(ハンプトンの他の演奏を聴いたことがないのでわからないが……)。ハンプトンの揺れる感じのvibが美しいのはいうまでもないが、出だしのウィリー・スミスのアルトがなんとも言えない味わい深さを表出している。デリカシーのある演奏だ。続くトランポットやテナーサックスだってなかなかのものだ。スキャットボイス付のベースソロもユニークだ。スタイルは古いが実に表情のある、起伏に富んだ演奏である。だいたい、1947年は大戦がおわって2年後なのだ、日本では憲法が施行された年だ。現在の地点から見て、革新的な演奏を求める方が無理な話だろう。

 実に気持ちよく聴けるアルバムである。ライオネル・ハンプトンを気持ちよく聴ける私は、やはりそれなりに年をとったということなのだろうか。それともやはり、このアルバムの持つ力なのだろうか。村上春樹氏は『Portrait In Jazz』の中で、ライオネル・ハンプトンについてその「生ぬるさ」を認めつつも、一定の評価を与えた後で次のように語る。

《 時代とともに野垂れ死にし、風化していった数多くのいわゆる「革新性」に、どれほどの今日的意味があるのだろうか 》

耳に残る言葉である。