☆今日の一枚 331☆
Thelonious Monk
Thelonious himself
午後から時間が取れて、懸案の、岩手は大船渡のジャズ喫茶「h.イマジン」に行ってみたのは、今週の水曜日9月12日のことだった。この日は陸前高田の「奇跡の一本松」が切断・解体される日で、行く途中はまだ半分ほど木が残っていたのだが、帰りにみると、もうすでに木はなかった。
さて、「h.イマジン」である。大変お洒落でこぎれいな店である。震災後、このような店を復活・開店されたマスターの苦労がしのばれる。どこかの企業から寄贈されたというJBLのスピーカーが鎮座し、なかなかにしっかりとした店だった。私が行った時、音はやや小さめで、お洒落でソフト&メロウな女性ボーカルがかけられていた。女性ボーカルは誰だったのだろう。サリナ・ジョーンズのような気もするが、サウンド的にもう少し最近のものかもしれない。小一時間ほど滞在したが、しばらくぶりにゆったりと落ち着いた、気分の良い時間を過ごすことができた。私の家からはクルマで約1時間ほどなのでそうしばしば訪れることもできないだろうが、是非ともまた来てみたいと思わせる店だった。ただ、お洒落な音楽を聴き、気分が良いと感じながら、このJBLでセロニアス・モンクを大音響で聴きたいと痛切に思ってしまったのはなぜだろう。私の身体にもまだ多少はJazz極道の血が流れているということだろうか。あるいは単なる生来のへそ曲がりの故だろうか。
というわけで、今日の一枚はセロニアス・モンクの1957年録音作品『セロニアス・ヒムセルフ』である。モンクのような個性の強いプレーヤーはソロがその音楽性を知るのに最も適している、と言われるが、確かにそこに展開されているのはまぎれもなくモンクの世界である。不協和音の響きを確かめるように、ゆっくりと奏でるそのタイム感覚がたまらなく心地よい。予定調和的な演奏を拒絶するかのように、時折繰り出される奇怪なタッチの不協和音が、平穏な空間を歪ませるようでなかなかに小気味よい。「h.イマジン」で痛切に聴きたいと思ったモンク。帰宅後、書斎机上のブックシェル型スピーカー、BOSE125で大音響で聴いてしまった。
そういえば、最近ジャズ喫茶にいっていない。昔、通っていたジャズ喫茶はどうなったのだろうか。若いころに通った東京や名古屋のジャズ喫茶は多くは店をたたんだらしく、また遠くて確認するすべもない。比較的近隣のジャズ喫茶はどうなのだろう。聖地・一関の「ベイシー」にもしばらくいっていない。佐沼の「エルヴィン」や若柳の「ジャキ」、石巻の「クルーザー」は震災後一度もいっていない。どうなったのだろう。仙台の「カウント」や「カーボ」もよく通ったジャズ喫茶だ。同じく仙台の「アヴァン」はとても気に入っていたジャズ喫茶だった。もう店を閉めたとも噂で聞くが、本当のところはどうなのだろう。また、それぞれ数度しか行ったことはないのだけれど、古川の「花の館」、釜石の「タウンホール」、秋田の「ロンド」も思い出深いジャズ喫茶だ。いまでもかわらずやっているのだろうか。私の住む街にもかつてジャズ喫茶がいくつかあったのだが、今はもう一軒のみである。震災後は数度しか訪れていないが、もう少し顔をだしてみようか。
昔よく通ったジャズ喫茶。どこももう一度訪れて確認してみたい店ばかりである。それは恐らくは自分自身を確認する作業でもあるのだろう。私も、そういう年齢になったのだということか。