WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ニール・ヤング

2014年12月29日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 399●

Neil Young

Harvest

 

 ニール・ヤングを同時代に聴いたことはない。このニール・ヤングの古い代表作の『ハーベスト』は1972年作品だ。私は10歳だったことになる。もちろん、ニール・ヤングなんて知らなかった。私がニール・ヤングを聴きはじめたのはもっとずっと後のことだ。恐らくは、1980年代だと思う。そして年齢を重ねるにつれて、古い二ール・ヤングをますます好きになっていった。40代になってからは加速度的にその傾向が強まっていったように思う。不思議なことだ。ニール・ヤングの作品をそんなにたくさん持っているわけではない。代表作といわれるいくつかのアルバムが中心だ。50歳を過ぎた今、シンパシーを感じ、聴き続ける価値があると考えるロックミュージックはそんなに多くはない。けれども、ニール・ヤングの音楽は確実にその中のひとつだ。聴き続ける価値があると考える稀有なアーティストのひとりだ。

 大学生の頃だったろうか。それまでロック・フリークだった私は急速にロック・ミュージックへの興味を失っていった。ジャズに出合ってしまった私自身の問題も大きいと思うが、時代性、すなわちロック・ミュージック自体の質の変化の問題も大きかったのだと思う。そんな私にとって、ニール・ヤングとの出会いと、その後の興味の深まりは例外的なことだ。

 何というか、癒されるのだ。癒されて、心が落ち着く。そう、ずっと以前に書いたのだけれど、暖かい毛布で包み込まれたような心地よい感覚だ。同時代に聴いていたわけでもなく、それにまつわる特別の想い出があるわけでもないが、昔どこかで見た懐かしい風景のような、どこかで聴いた懐かしいメロディーのような、そんな思いが心に満ちてくるのだ。

 私は、時代から孤立して古いニール・ヤングを聴く。

 

 


いいゲームだった

2014年12月29日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 398●

Ray Bryant

Ray Bryant Trio (Prestige7098)

 Winter Cup 2014をJ-sportsで見た。高校バスケットボールである。福岡大大濠(福岡)と明成(宮城)の決勝戦は、接戦で最後までどうなるかわからない、ある意味では偶然が作用したとも考えられる、僅差のいいゲームだった。中盤に終始劣勢に立たされながら、集中力を切らさなかった明成を褒めるべきだろう。けれども、本当に感動したゲームは、その前に行われた3位決定戦であった。市立船橋(千葉)と桜丘(愛知)のゲームである。卓越した能力の長身外国人留学生を中心に、優れたアウトサイドシューターをそろえた桜丘に対して、伝統校の市立船橋がどう戦いを挑むのかというところが見どころである。ゲームは第1~第3ピリオドまでは、基本的に桜丘の優勢であった。桜丘の得点シーンに比べて、市船のそれは多くの困難を強いられているように見えた。けれども、市船は過剰とも思えるようなアウトサイトシュートと長身留学生への執拗なディフェンスによって、何とかくらいついてゆく。第4ピリオドに入って疲れが見え、やや混乱したようにみえた桜丘に対して、市船がついに追いつき逆転するという展開になった。感動的だったのは市立船橋が見せたリバウンドへの執念である。特に、203cmの外国人留学生に対して、市船の185cmの⑦の選手が身体を張り、全身全霊で対抗していった姿は「魂」を感じさせるほどであった。市船には何の関係もない私であるが、熱いものがこみ上げ応援している自分を発見した。恐らくは、試合会場の観客の多くも、私と同じ気持ちだったに違いない。そういう観客席も味方につけ、市船の勝利があったのかもしれない。優勝した明成と僅か2点差のゲームを展開した福岡大大濠を相手に、準決勝で終了間際まで大接戦を演じたことを考えると、市立船橋にも展開によっては十分に優勝するチャンスがあったと考えるべきだろう。もちろん、試合結果というものは厳しいものであり、そのために日々練習に励んでいるのであろう。しかし、バスケットボールは、一本のシュートやリバウンドのある種の「偶然性」が接戦の勝敗を分けることのある競技である。その意味でも私は、市立船橋の選手たちにこころからの拍手を送りたい。

 今日の1枚は、レイ・ブライアントの1957年録音作品の『レイ・ブライアント・トリオ』である。アルバムタイトルは、通常、『レイ・ブライアント・トリオ』とされるが、「レイ・ブライアント・トリオ」は、アルバムタイトルなのか演奏者なのか迷ったりする。「Prestige 7098」というレコード番号がやたら大きく記されており、これがタイトルなのではと思ってしまうからだ。しかしまあ、アルバムの裏に大きく「RAY BRYANT TRIO」と記されているところをみると、やはり『レイ・ブライアント・トリオ』がアルバムタイトルでいいのかなとも思う。

 私は嫌いではない。いや好きだ。かなり好きかもしれない。ただ、一時期あまりに聴きすぎたせいか、ちょっと飽きちゃった感じもある。哀感漂う、日本人好みのアルバムであるといわれる。基本的にはその通りなのだと思う。しかしそれだけだろうか。何か一本、芯のようなものが通っているところがすごいのだと思う。音の輪郭は決して明快であるとは思わないが、演奏のコンセプトがしっかりとしているのではないか。それは、潔さや決断力といいかえることができるかもしれない。このアルバムについては、次の後藤雅洋氏の文章が的をついていると何となく思う。

マイナー名曲満載のブライアント代表作だが、同じ曲を他の人がやってもゼッタイこのしっとりした雰囲気は出てこない。心地よく歩みを進めるピアノのタッチが思いのほか重量級なのだ
(後藤雅洋『一生モノのジャズ名盤500』小学館101新書)