2008年の中国映画です。副題が「母と来た道」とあります。
1980年代の雲南省の寒村。祖母の葬儀が終わり自宅の庭先で村人に「なおらい」で接待をする場面に「娘である私の一人語り」が狂言回し風に入ります。
酒を勧めているのが父の葛望(グォワン)で部屋で泣き叫んでいるのが母親です。
父は足が悪いようで棚田で僅かばかりの稲作をし何とか暮しています。
母は何と知的障害があり話す事は出来ず動作も緩慢ですが何とか夫の言う事は聞き分け「豚を飼ったり鶏の世話する」程度の作業はこなします。櫻桃(インタオ--さくらんぼ)と呼ばれています。
インタオは「男女の事をすれば子が出きる」事は分かっていて子どもを欲しがっているようです。ある日つまらぬ夫婦の諍いでインタオは締め出しを食い野宿していて女の赤ん坊を拾ってきます。
子どもの欲しかった彼女は狂喜して危ういながら育児に熱中します。日課の豚の世話も放り出します。そんな彼女を見てグォワンは赤ん坊を町の人に譲ってしまいます。
赤ん坊が連れ去られるのに気が付いたインタオは赤い軽自動車を徒歩で追いかけます。
ついには最寄の町までたどり着きますが事情を説明出来ない彼女には何とも探しようがありません。屋台の残飯を盗み食いしながら日を過ごしたまたま赤い軽自動車から降りた夫婦の赤ん坊を「自分の子と勘違いして奪います」。
町の人に捕まり足蹴にされている所にグォワンが探しに来て助かりました。
それがきっかけで赤ん坊は取り戻され「紅紅--ホンホン」と名付けられ一家の者となりました。
月日の経つのは早いものです。ホンホンはいまや5歳。母親について豚を追って野に出て彼女にまとわり着いたりいや彼女がホンホンに従ったり雲南の美しい棚田と遠くの山に囲まれた田舎で穏やかな日が過ぎて行きます。
道を行くホンホンの頭上に赤い実がたくさん落ちてきます。見上げるホンホン(写真がそのシーンです)。なんとインタオがさくらんぼの大木に登りその実をホンホンに投げ下ろしたのでした。さくらんぼを口に含むホンホン、嬉しそうに笑う母(そう母親の名がインタオ--さくらんぼとはここに来て効いて来ました)
ホンホンの語りに寄れば「あの頃が私にとって一番楽しい時間だった」そうです。
村の子らはホンホンと遊んでくれますがインタオが近づくと「うすのろ」と囃し馬鹿にします。父親に「うすのろ」の意味を聞くホンホン。
父親は「母さんは優しい人だ。母さんが居て今のお前が居る」と何時も答えます。
やがてホンホンも小学生。母の存在を「疎ましく思うようになる」
高学年のある日校舎の外で「ホンホン」を見守る母。囃す悪がき。益々母が疎ましくなる。
でもインタオには娘の苛立ちは理解できない。
そんな諍いが幾つか募りある日母を2階に閉じ込め学校に行くホンホン。
折からの雨、インタオは傘を届けるべく2階の窓から転げ落ち足を痛めながら学校へ。
そこでも母を「うすのろ」と馬鹿にする悪がき達。ホンホンの心で何かが弾けた。
学校での騒ぎと家での揉め事の後、ホンホンは熱を出して倒れる。
田舎道を手作りのリヤカーに乗せ町の医院までホンホンを担ぎ込む両親。
発熱は風邪で数日の入院。入院見舞いの「さくらんぼ」をホンホンは喜んで食べる。
彼女は母に対し「疎ましさ」を乗り越え「愛を感じ再び愛を受け入れた」ようです。
退院後ホンホンは母に字を教える事を思いつく。紅紅と拙い字で書いた母の嬉しそうな顔。
明日はホンホンの誕生日と言う前日、母が出かけたまま帰らない。
数日経って母を見かけた人が居るとの連絡。
以下はネタばれを避けるためカット
ホンホンはその後父の希望に沿い勉強して医学部に入り医師を目指している。
今になって私は父が言った母が居たから私が居るとの意味が分かった。母を恥じた心を悔やんでいる。渡しはこの思いを子どもに伝えたい。どうかお母さんを大切に
蛇足:最後の台詞が無くても思いは充分伝わると思った。中国ではこの映画は「母の日」に初上映されたと後で知りました。
蛇足2:老妻と一緒に見ました。涙が止まらなかった様です。
写真:5歳の頃の紅紅(いや実に可愛い娘さんです 素人をオーデションから選んだそうです)さくらんぼはインタオがホンホンに示せる唯一の愛情表現だったのでしょうね。
1980年代の雲南省の寒村。祖母の葬儀が終わり自宅の庭先で村人に「なおらい」で接待をする場面に「娘である私の一人語り」が狂言回し風に入ります。
酒を勧めているのが父の葛望(グォワン)で部屋で泣き叫んでいるのが母親です。
父は足が悪いようで棚田で僅かばかりの稲作をし何とか暮しています。
母は何と知的障害があり話す事は出来ず動作も緩慢ですが何とか夫の言う事は聞き分け「豚を飼ったり鶏の世話する」程度の作業はこなします。櫻桃(インタオ--さくらんぼ)と呼ばれています。
インタオは「男女の事をすれば子が出きる」事は分かっていて子どもを欲しがっているようです。ある日つまらぬ夫婦の諍いでインタオは締め出しを食い野宿していて女の赤ん坊を拾ってきます。
子どもの欲しかった彼女は狂喜して危ういながら育児に熱中します。日課の豚の世話も放り出します。そんな彼女を見てグォワンは赤ん坊を町の人に譲ってしまいます。
赤ん坊が連れ去られるのに気が付いたインタオは赤い軽自動車を徒歩で追いかけます。
ついには最寄の町までたどり着きますが事情を説明出来ない彼女には何とも探しようがありません。屋台の残飯を盗み食いしながら日を過ごしたまたま赤い軽自動車から降りた夫婦の赤ん坊を「自分の子と勘違いして奪います」。
町の人に捕まり足蹴にされている所にグォワンが探しに来て助かりました。
それがきっかけで赤ん坊は取り戻され「紅紅--ホンホン」と名付けられ一家の者となりました。
月日の経つのは早いものです。ホンホンはいまや5歳。母親について豚を追って野に出て彼女にまとわり着いたりいや彼女がホンホンに従ったり雲南の美しい棚田と遠くの山に囲まれた田舎で穏やかな日が過ぎて行きます。
道を行くホンホンの頭上に赤い実がたくさん落ちてきます。見上げるホンホン(写真がそのシーンです)。なんとインタオがさくらんぼの大木に登りその実をホンホンに投げ下ろしたのでした。さくらんぼを口に含むホンホン、嬉しそうに笑う母(そう母親の名がインタオ--さくらんぼとはここに来て効いて来ました)
ホンホンの語りに寄れば「あの頃が私にとって一番楽しい時間だった」そうです。
村の子らはホンホンと遊んでくれますがインタオが近づくと「うすのろ」と囃し馬鹿にします。父親に「うすのろ」の意味を聞くホンホン。
父親は「母さんは優しい人だ。母さんが居て今のお前が居る」と何時も答えます。
やがてホンホンも小学生。母の存在を「疎ましく思うようになる」
高学年のある日校舎の外で「ホンホン」を見守る母。囃す悪がき。益々母が疎ましくなる。
でもインタオには娘の苛立ちは理解できない。
そんな諍いが幾つか募りある日母を2階に閉じ込め学校に行くホンホン。
折からの雨、インタオは傘を届けるべく2階の窓から転げ落ち足を痛めながら学校へ。
そこでも母を「うすのろ」と馬鹿にする悪がき達。ホンホンの心で何かが弾けた。
学校での騒ぎと家での揉め事の後、ホンホンは熱を出して倒れる。
田舎道を手作りのリヤカーに乗せ町の医院までホンホンを担ぎ込む両親。
発熱は風邪で数日の入院。入院見舞いの「さくらんぼ」をホンホンは喜んで食べる。
彼女は母に対し「疎ましさ」を乗り越え「愛を感じ再び愛を受け入れた」ようです。
退院後ホンホンは母に字を教える事を思いつく。紅紅と拙い字で書いた母の嬉しそうな顔。
明日はホンホンの誕生日と言う前日、母が出かけたまま帰らない。
数日経って母を見かけた人が居るとの連絡。
以下はネタばれを避けるためカット
ホンホンはその後父の希望に沿い勉強して医学部に入り医師を目指している。
今になって私は父が言った母が居たから私が居るとの意味が分かった。母を恥じた心を悔やんでいる。渡しはこの思いを子どもに伝えたい。どうかお母さんを大切に
蛇足:最後の台詞が無くても思いは充分伝わると思った。中国ではこの映画は「母の日」に初上映されたと後で知りました。
蛇足2:老妻と一緒に見ました。涙が止まらなかった様です。
写真:5歳の頃の紅紅(いや実に可愛い娘さんです 素人をオーデションから選んだそうです)さくらんぼはインタオがホンホンに示せる唯一の愛情表現だったのでしょうね。