王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

偽書 「東日流外三郡誌」事件を読む

2011-07-01 08:46:16 | 本を読む
2009年12月新人物文庫発行による斉藤光政著「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を読みました。
東奥日報記者斉藤光政氏が「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」に関わる裁判事件の取材に関わる内に本書の真贋双方の支援者にインタビューを試み真相に迫る過程が詳細に書き込まれています。

青森県五所川原市(青森県の西側の半島)飯詰在住の和田喜三郎氏が「知られざる東日流日下(ひのもと)王国」の中に無断で写真を使われたとして近く訴訟を起こされるとの記事を1992年10月19日に記事にした事で真贋論争が全国的な扱いになりました。
くどくなりますがこの書は「東日流外三郡誌」等を基に編集した本です。

原告はこの方が研究している「猪垣(ししがき)」と呼ぶ近畿地方の石垣の写真が和田氏の「古代に存在した耶馬台城」として紹介された事に怒っていた訳です。

記事の2日後原告は記者会見で「東日流外三郡誌は偽書で専門家による鑑定を望む」と発言しています。
さて5ヵ月後には地元青森古文書研究会がこの書は:
江戸期に成立したと言われながら明治以降に作られた新語が出てくる。
筆写されたのは明治期とされているが字体に戦前から戦中に教育を受けた者の特徴がある。
一連の和田文書には戦後に生産された和紙が使われている。
つまり、発見者とされる和田喜八郎氏の直筆でなされたとしました。

その後斉藤氏の取材は偽書派の「産業能率大教授(当時)安本美典氏」擁護派の昭和薬科大学教授(当時)古田武彦氏の大論争にも関わり図らずも東北の村おこしに寄与した面があります。(偶然にもこの2年後三内丸山遺跡が発掘される)

丁寧な検証が続く中:
昭和22年夏、突然天井を破って落下した古い箱が座敷の真ん中に散らばった
ことから発見されたとする「東日流外三郡誌」の真贋論争は和田喜三郎氏死亡の後、この屋の相続人となった和田氏の父方のいとこ「キヨヱ」氏と立会いの二氏が座敷の天井を破りますが梁は細く屋根との間隔も狭く長持ちや箱に入れ数千部と言われる重量物を入れる空間は無かったそうです。そもそもハツヱ氏によれば47年(昭和22年)には天井も張ってなかったそうで「有りもしない天井を破って落ちてくるなんてはんかくさい」が全てを語っています。
大学やその道の権威とか言われても最初の一歩を誤ると正しい業績まで疑いの目で見られてしまう恐ろしい側面がありますね。
夏のミステリー並みに面白いですよ。お勧めします。
コメント (6)
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