王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

成田空港 団結小屋 強制撤去に着手

2011-08-06 08:14:47 | 社会
成田空港内の団結小屋、強制撤去に着手(読売新聞) - goo ニュース

ウェブニュースによれば今朝千葉地裁が成田空港内の空港反対派の団結小屋の強制撤去に着手したそうです。
もし現地で反対派が終結していれば朝のTVニュースでレポーターがヘルメット姿で生映像が流れると思いましたがそれほどの騒ぎは無いようです。

1966年に団結小屋が作られた頃は反対派の学生も労働者も農家も若かったですよね。
もし20歳なら45年経ち65歳、25歳だったら70歳だから反対運動の中核を果たすには老いた。

浜爺も5月に成田空港を使ったが、空港の手前で「民間の警備会社が行う身分チェック」を受けたが当時の物々しさは全く無い。
むしろ何の為のチェックでこれが役に立っているのかと思うくらい。

時間はどうしても事態を風化させるのであろうか?
それとも反対運動に50年の評価に耐える「正当性」がなかったのだろうか?

横浜に向かいながらこれが羽田からなら時間は半分以下になるのだけどと思った。
勿論、羽田からも便はあるのだけで浜爺の大好きな「格安パック旅行」は成田発がほとんどで羽田発は高かったり一人旅には適用にならない。

今では労働組合は戦わないし正規従業員も少なくなった上景気がずーっと悪い。
あの頃から数年は給料も毎年上がってよい時代だった。


読売新聞:
千葉地裁は6日朝、成田空港用地内にある空港反対派の団結小屋「天神峰現地闘争本部」(千葉県成田市)の強制撤去に着手した。

 強制撤去は、東京高裁が認めた仮処分に基づくもの。

 団結小屋は1966年に反対派の本部として建設され、現在はB滑走路(2500メートル)西側に位置している。一部木造の鉄筋コンクリート3階建て。過激派が機関紙の発行元住所とするなど、「成田闘争」の象徴とされてきた。小屋の撤去と土地の明け渡しが遅れたため、滑走路の誘導路が「へ」の字型に曲がるなど、支障が出ていた。

 団結小屋は、反対派の活動を封じるために施行された「成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(成田新法)に基づき、90年に封鎖され、立ち入り禁止とされてきた。
(引用終わり)
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