巨人V9川上哲治氏が死去 93歳(日刊スポーツ) - goo ニュース
昨日29日元巨人軍監督の川上哲治氏が28日に逝去されていたのが判りました。
お年は93歳だそうですから大往生でしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。
30歳代の野球ファンから数えても2世代以上上野球選手の選手生命から言ったら4世代以上の方ですよね。
選手はじめ関係者のコメントも指導を受けたとか影響を受けた或いは映像を利用してV9何かを解説していました。
浜爺が川上さんと聞くと小学校に入った頃かと思いますが、紅梅キャラメルという菓子会社がおまけ付キャラメルを発売していて中に入っている巨人軍の選手を監督はじめ9人そろえるとグローブだかバットをくれる企画でした。
いつも腹が空いていて食い物が欲しかった時代なのに好きでもないキャラメルを選手カード欲しさに紅梅キャラメルにつぎ込んでいました。
全部そろえるには水原監督が出ないのですよ。それと川上選手。赤バットなんて言葉も当時聞いた覚えがかすかにあります。
あの企画には辺りが有ったのでしょうかね!?
今朝「朝ズバッ!」には金田正一さんが出て現役当時の川上さんを語っていました。
もう彼くらいしかいないのですね。
ソ連の鉄のカーテンを引いて川上監督の(マスコミ向け)情報管理の厳しさに「哲のカーテン」何て呼ばれていた時代も覚えています。
とにかく昔の話でした。これも昭和の終りの一幕ですね。
さて昨夜は楽天ともつれた試合を後輩の巨人は勝ちぬけました。
どうなりますかね?
写真;川上監督
日刊スポーツ
巨人監督としてV9を達成した川上哲治氏(日刊スポーツ評論家)が、逝去していたことが30日、明らかになった。93歳だった。川上氏は28日の午後4時58分、東京・稲城市内の病院で亡くなった。故人の遺志により、すでに近親者のみによる密葬を行った。
家族によると、川上氏は春先に自宅での転倒による肋骨(ろっこつ)の骨折を引き金に、持病の心臓病が悪化。一時は歩行やボール投げなどのリハビリをするところまで回復したが、その後は全身の免疫状態が低下するなど老衰の症状が急速に進んだという。
川上氏は熊本工から38年に東京巨人軍に投手として入団し、その後、打者に転向した。赤バットがトレードマークで39年には打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。人間離れした打撃術から「打撃の神様」といわれた。
61年に巨人監督に就き、65~73年まで9年連続リーグ優勝、日本一の黄金期を築いた。
(引用終わり)
昨日29日元巨人軍監督の川上哲治氏が28日に逝去されていたのが判りました。
お年は93歳だそうですから大往生でしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。
30歳代の野球ファンから数えても2世代以上上野球選手の選手生命から言ったら4世代以上の方ですよね。
選手はじめ関係者のコメントも指導を受けたとか影響を受けた或いは映像を利用してV9何かを解説していました。
浜爺が川上さんと聞くと小学校に入った頃かと思いますが、紅梅キャラメルという菓子会社がおまけ付キャラメルを発売していて中に入っている巨人軍の選手を監督はじめ9人そろえるとグローブだかバットをくれる企画でした。
いつも腹が空いていて食い物が欲しかった時代なのに好きでもないキャラメルを選手カード欲しさに紅梅キャラメルにつぎ込んでいました。
全部そろえるには水原監督が出ないのですよ。それと川上選手。赤バットなんて言葉も当時聞いた覚えがかすかにあります。
あの企画には辺りが有ったのでしょうかね!?
今朝「朝ズバッ!」には金田正一さんが出て現役当時の川上さんを語っていました。
もう彼くらいしかいないのですね。
ソ連の鉄のカーテンを引いて川上監督の(マスコミ向け)情報管理の厳しさに「哲のカーテン」何て呼ばれていた時代も覚えています。
とにかく昔の話でした。これも昭和の終りの一幕ですね。
さて昨夜は楽天ともつれた試合を後輩の巨人は勝ちぬけました。
どうなりますかね?
写真;川上監督
日刊スポーツ
巨人監督としてV9を達成した川上哲治氏(日刊スポーツ評論家)が、逝去していたことが30日、明らかになった。93歳だった。川上氏は28日の午後4時58分、東京・稲城市内の病院で亡くなった。故人の遺志により、すでに近親者のみによる密葬を行った。
家族によると、川上氏は春先に自宅での転倒による肋骨(ろっこつ)の骨折を引き金に、持病の心臓病が悪化。一時は歩行やボール投げなどのリハビリをするところまで回復したが、その後は全身の免疫状態が低下するなど老衰の症状が急速に進んだという。
川上氏は熊本工から38年に東京巨人軍に投手として入団し、その後、打者に転向した。赤バットがトレードマークで39年には打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。人間離れした打撃術から「打撃の神様」といわれた。
61年に巨人監督に就き、65~73年まで9年連続リーグ優勝、日本一の黄金期を築いた。
(引用終わり)