王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

清宮選手 プロ入りを表明 !!

2017-09-23 12:50:29 | スポーツ
入学当初は大学進学本線も 清宮 プロ決断した3つの経験

昨日22日早実の3年生清宮幸太郎さんが記者会見でプロ入りを表明しました。
凄い選手だと思いますがつい先ほどのU-18のワールドカップで大活躍そして日本が優勝という訳でもありませんからそれとは別にだいぶ前から進路は考えていたのでしょうね。
この報に続いて清宮君がわから獲得希望球団との個別面談を予定しているそうです。
まあそうでしょうね。目先の勝ちに拘る(拘らざるを得ない)チームに行ったら高校生として別格でもプロでつぶされてしまった先輩が大勢いますものね。

なんで高卒でプロになるかと考えれば大学進学後プロになるよりFAを取得する期間が4年早くなるのは道理です。
さてプロとしてスタートする4年でまず国内で通じる(多分)野手にして強打者に化けられるかどうか? その辺りがポイントになりそうです。
一方大学に進めば(推薦入学でしょうから授業への積極的参加は求められないでしょう)プロほど野球に専念できないわけでも無いでしょうにね?!
それと長い目で見て部活動を通じてできる友人知人の層は宝物と思えます。
まあ清宮君と家族の決断ですから上手くゆくことを願っています。

ドラフト会議は来月26日とか。どこが当りクジを引き当てるか(多分1球団のみ指名はないと思いますから)大騒ぎになりそうです。
さてその後の育成方針と起用が気になりますね。
楽しみです。


写真:会見での清宮選手(共同)

スポニチ:
高校通算最多111本塁打を誇る早実の清宮幸太郎内野手(18)が22日、都内の同校で会見を行い、プロ志望を表明した。同校の先輩にあたる王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)が持つ世界記録、868本塁打への挑戦、将来的な大リーグ移籍の目標を口にするなど決意を語った。10月26日のドラフト会議は日本中の注目を集めることになる。

 自らの覚悟を伝える大切な場。緊張で声が上ずる場面もあった。それでも清宮は30分、前を見据え、力を込めて話した。

 「私、清宮幸太郎は、プロ志望届を提出することに決めました。プロの世界の厳しさは十分理解しているつもりですが、より高いレベルに身を置き、鍛錬し努力することで、目の前の目標を一つ一つクリアしていきたい」

 現役時代の丸刈り姿から髪をやや伸ばした怪物は続けた。

 「(プロは)昔からの自分の夢。野球に一番集中できる環境。成長させていただける球団に行きたい」

 進路を最終決断したのは侍ジャパン高校代表として出場したU―18W杯から帰国後。カナダ渡航中には早大・鎌田薫総長、早大野球部の高橋広監督、早実・和泉実監督らが、ラグビートップリーグ・ヤマハ発動機監督で父の克幸氏と会談の場を持っていた。だが、清宮の意志は固く、家族会議を経て「帰ってきてすぐ決めた。(家族も)自分の選んだ道を後押ししてくれた」と明かした。
(引用終わり)

 早実入学当初は「大学進学」が本線。プロへ気持ちが傾いたのは「2回ジャパン(侍ジャパン高校代表)に選ばれたこと、甲子園に出場したこと、(高校通算最多とされる107発の)本塁打の数を更新したこと」と挙げた。関係者によると、克幸氏も和泉監督に「本塁打数を伸ばした場合はプロもある」と伝えていたという。高校歴代記録を塗り替える一本一本のアーチがプロへと導いた。「次の大きな夢に挑戦するべきと確信に至った。一つ一ついろいろなステージを踏むことでプロの世界も見えてきた」と言った。

 自らの言葉に責任を持ち、重圧を力に変えてきた18歳は、あえて早実の偉大な先輩で、「憧れ」と理想の選手に挙げる王貞治氏の868本塁打の世界記録を目標に掲げた。

 「いずれは868本を目指せるような選手になりたい。早稲田(実業)の先輩ですし、むしろ目指さなきゃいけないという使命感。日本でずばぬけた活躍がしたい」

 プロ野球で自他ともに認める存在となる。その先に「夢は変わっていない」と語る大リーグの舞台、本塁打王の野望がある。 (東尾 洋樹)

 ◆清宮 幸太郎(きよみや・こうたろう)1999年(平11)5月25日、東京都生まれの18歳。早実初等部4年から東京北砂リトルに所属。早実中1年だった12年夏にリトルリーグ世界選手権に出場し、世界一を達成。その後は調布リトルシニアに所属し、早実に進学。入学直後から中軸を打ち、1年夏、3年春に甲子園に出場。1メートル84、101キロ。右投げ左打ち。

 ▽王貞治の868本塁打 早実から投手として入団した直後に一塁手へ転向。高卒新人ながら7番・一塁で開幕先発を果たすが、1年目は打率.161、7本塁打に終わった。転機は3年目を終えた61年オフ。荒川博打撃コーチが就任し、一本足打法を伝授された。4年目の62年に38本塁打、85打点と才能を開花させ現役最後の80年まで19年連続30本塁打以上をマーク。64年の55本塁打など歴代最多15度の本塁打王に輝き、通算868本塁打を放った。
(引用終わり)


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