昨日5日夕刻スマホが鳴ったら速報で橋田寿賀子さん(95)が死去との報だった。改めて記事を見ると「急性リンパ腫」だそうで、御長寿は良い事だけど病死は辛いなと思いました。
数年前にもお好きな海外旅行でヴェトナムかどこかで急病になり引き上げていましたよね。「年寄りだから保険をたくさんかけて倒れても大丈夫な様にしてある」とか帰国後聞いたような気がしました。
いろいろ橋田さんの手になる脚本が名を連ねていますが、浜爺がすぐ思い出したのは「おしん」で次が「渡鬼」の2品でした。「おしん」は海外旅行先のタイでTV放送していたのを見て改めて感動しました。
おしん (ネットより)
「渡鬼」は産業戦士になった頃ですからどうしても見たいTVでは有りませんが、長くやっていたのは覚えています。長い間、国民を楽しませてください有難うございました。
謹んで哀悼の意を捧げます。 合掌
写真:橋田寿賀子さん (良い写真ですね)
日経新聞:
「おしん」などのテレビドラマで知られる脚本家の橋田寿賀子(はしだ・すがこ、本名=岩崎寿賀子=いわさき・すがこ)さんが4日、急性リンパ腫のため静岡県熱海市の自宅で死去した。95歳だった。
ソウル生まれ。旧制大阪府立堺高等女学校(現府立泉陽高校)から日本女子大に進む。その後、松竹脚本部員になったが、勃興期にあったテレビに注目し、ドラマの脚本家を目指した。
1964年の「愛と死をみつめて」で注目を集め、人気脚本家になる。76年のNHK連続ドラマ「となりの芝生」で嫁しゅうとめ問題がクローズアップされ、問題提起を含む辛口ホームドラマという分野を開拓した。「ドラマは家族の中にある」という視点で書かれた「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)は約30年にわたって親しまれた。
NHKで83年から放送された代表作「おしん」は「オシンドローム」(おしん症候群)と呼ばれる社会現象を巻き起こし、アジア諸国などでも高い人気を博した。
2015年、脚本家として初めて文化功労者に。20年に文化勲章を受けた。19年5月に日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。
(引用終わり)