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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

南田洋子さん 逝去

2009-10-22 06:47:21 | 芸能
南田洋子さん死去=映画「太陽の季節」やドラマで活躍(時事通信) - goo ニュース

女優だった南田洋子さん(76)才が昨日昼逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。   合掌

17日に起きたくも膜下出血が引き金になってしまったのでしょう。
ここ数年は「認知症」を患っていてその介護の様子がご主人の長門裕之氏の手でTVに流れました。
元気な頃は自宅の一部を改造してマージャン専用部屋を作り親しい方と徹夜でマージャンを楽しんだなんて話を聞いた気がします。

さて南田洋子さんと聞けば爺にとっては「青春というより思春期を思い出させる女優さん」です。

若尾文子さんと「十代の性典」「続十代の性典」という映画に主演したのだと思います。今で言えば「ワンピースの水着を着てカメラが胸元と太もも辺りを強調したスチール写真があった」のを思い出すだけで中身が何だかさっぱり覚えていないのですよ。
そのころ月刊誌「平凡」にドクトルチエコの「十代の性の相談室」見たいな企画があって:
読者「彼に唇を奪われました。妊娠してないか心配です」とか「お乳を揉まれました。左右不揃いの気がするのはそのせいでしょうか?」なんて質問にチエコ先生がお答えをするわけ。
男子校でしたので「月経」「妊娠」とか「堕胎」なんて言葉に実態も判らずただ只言葉に興奮していた年頃でした。
多分映画はそんな話の一部がストーリーだったのかも知れません。

「太陽の季節」が映画になる頃は大分大人になっていました。
有名人であっても名実ともに「悠々自適の晩年」を過ごすとは限らないようです。
まあお金に困らなかったから「人に見せられる老老介護」でした。これでお金が無かったら悲惨ですよね。
それにしてもご主人の長門さんは辛かったでしょうね。お金に不自由は無いにしても妻の記憶が日々壊れてゆくのですからね。体も心もお疲れだったと思います。
改めて南田洋子さんのご冥福をお祈りします。

時事通信:
映画「太陽の季節」「幕末太陽伝」で知られ、ドラマ、舞台でも活躍した女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日午前10時56分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は30日午前10時30分から、港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿で。喪主は夫で俳優の長門裕之(ながと・ひろゆき、本名加藤晃夫=かとう・あきお)さん。

 1951年に大映ニューフェースとして映画界入りし、デビュー。53年に若尾文子さんと共演した「十代の性典」で注目を浴び、溝口健二監督の「近松物語」などに出演。その後、日活に移籍し、長門裕之さんと共演した56年の「太陽の季節」は大ヒットを記録。61年に長門さんと結婚した。

 60年代以降は脇役がメーンとなり、ドラマや舞台にも進出。主な出演作にドラマ「赤い衝撃」「わかば」、舞台「阿修羅のごとく」などがある。夫婦で約16年にわたり歌番組の司会を務めるなど「おしどり夫婦」として知られた。また、自らドラマを制作したり、義父の介護体験をつづった本を出版したりするなど、多方面で才能を発揮した。

 04年ごろから認知症の症状が表れ、06年に女優業を引退。闘病生活を送っていたが、17日にくも膜下出血のため都内の病院に入院し、治療を受けていた。
(引用終わり) 

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