寛仁さまご逝去=66歳、都内の病院で―福祉やスポーツ、現場で活躍(時事通信) - goo ニュース
昨日6日午後三笠宮の仁親王殿下ががんの為逝去なされました。 66歳と今では短い感じのする一生でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
平成も7-8年頃の映像を拝見すると浜爺は先帝昭和帝のお姿と重なるのですよ。
良く考えると伯父さんと甥っ子ですからそう見えても不思議はありません。
さて20余年も前にがんの告知を受け16回の手術受けたそうですからその生活は辛いものが有ったであろうと拝察申し上げます。
それでも身体障碍者の福祉関係に力を注いで活躍されていました。
ひげの殿下とか時にはともさんと呼ばれその洒脱振りと気さくさが語られています。
浜爺も昨日TVの映像で2007年に「アルコール依存症のーー」と自ら語っておられるのを見ましたよ。
これは未確認ですが「皇族を離脱したい」とか発言され物議を醸した事があったのと「男系天皇の維持」に関し旧宮家の復活を始め幾つかの提言をされ最後の項に「側室を認める」とかあり「これは受け入れられないだろうが」と注釈を入れていたと思います。
これを読んだとき殿下は「いまいち覚めていないな」と思ったものです。
市井の年金暮らしが殿下を批判するのは恐れ多い極みですがそう思ったのです。
病室では母親の三笠宮妃のお見送りを受ける事になりました。双方に取って辛いお別れでした。
改めてご冥福をお祈りします。
写真:若いころのひげの殿下
時事通信:
昭和天皇の末弟の三笠宮さま(96)の長男で、「ひげの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。葬儀は文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、宮内庁は日取りや形式について検討を始めた。寛仁さまは、天皇陛下のいとこに当たり、皇位継承順位は6位だった。
寛仁さまは昨年12月、顎の右下部にがんが見つかり、同病院に入院。今年1月10日、切除手術を受けた。その後、食べ物が通りにくくなる通過障害が生じ、3月2日に喉頭の軟骨を切除した。今月1日、口や鼻から出血。宮内庁は5日深夜、腎臓や肺、肝臓の機能、意識状態が低下し、輸血や投薬などの治療を受けていると発表した。
1991年に食道がんの手術を受けて以降、がん関連の手術は16回に上っていた。
公務では、福祉やスポーツ、青少年育成、国際親善に活躍し、特にスキー指導などを通した身体障害者の福祉に力を注いだ。皇族としては型破りで、ラジオのディスクジョッキーや雑誌などで皇族論をはじめユニークな考えを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言したこともあった。2008年に喉頭をふさぐ手術の結果、自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使って公務を行っていた。
(引用終わり)
昨日6日午後三笠宮の仁親王殿下ががんの為逝去なされました。 66歳と今では短い感じのする一生でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
平成も7-8年頃の映像を拝見すると浜爺は先帝昭和帝のお姿と重なるのですよ。
良く考えると伯父さんと甥っ子ですからそう見えても不思議はありません。
さて20余年も前にがんの告知を受け16回の手術受けたそうですからその生活は辛いものが有ったであろうと拝察申し上げます。
それでも身体障碍者の福祉関係に力を注いで活躍されていました。
ひげの殿下とか時にはともさんと呼ばれその洒脱振りと気さくさが語られています。
浜爺も昨日TVの映像で2007年に「アルコール依存症のーー」と自ら語っておられるのを見ましたよ。
これは未確認ですが「皇族を離脱したい」とか発言され物議を醸した事があったのと「男系天皇の維持」に関し旧宮家の復活を始め幾つかの提言をされ最後の項に「側室を認める」とかあり「これは受け入れられないだろうが」と注釈を入れていたと思います。
これを読んだとき殿下は「いまいち覚めていないな」と思ったものです。
市井の年金暮らしが殿下を批判するのは恐れ多い極みですがそう思ったのです。
病室では母親の三笠宮妃のお見送りを受ける事になりました。双方に取って辛いお別れでした。
改めてご冥福をお祈りします。
写真:若いころのひげの殿下
時事通信:
昭和天皇の末弟の三笠宮さま(96)の長男で、「ひげの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。葬儀は文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、宮内庁は日取りや形式について検討を始めた。寛仁さまは、天皇陛下のいとこに当たり、皇位継承順位は6位だった。
寛仁さまは昨年12月、顎の右下部にがんが見つかり、同病院に入院。今年1月10日、切除手術を受けた。その後、食べ物が通りにくくなる通過障害が生じ、3月2日に喉頭の軟骨を切除した。今月1日、口や鼻から出血。宮内庁は5日深夜、腎臓や肺、肝臓の機能、意識状態が低下し、輸血や投薬などの治療を受けていると発表した。
1991年に食道がんの手術を受けて以降、がん関連の手術は16回に上っていた。
公務では、福祉やスポーツ、青少年育成、国際親善に活躍し、特にスキー指導などを通した身体障害者の福祉に力を注いだ。皇族としては型破りで、ラジオのディスクジョッキーや雑誌などで皇族論をはじめユニークな考えを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言したこともあった。2008年に喉頭をふさぐ手術の結果、自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使って公務を行っていた。
(引用終わり)
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