“ガチョーン”谷啓さん突然の死、78歳(読売新聞) - goo ニュース
昨日11日早朝クレージーキャッツのメンバーであった谷啓さん(78)が急逝されました。
階段で躓きと有りましたから「降りてくる途中で足が縺れ頭からまっ逆さま」とばかり創造していましたが別紙では「階段を上る途中で」と有りました。
上る途中なら「とっさに顔を庇っても良かったのでは?」と勝手に想像して「結構お年の割りに衰えていたのかな?」なんて思う始末。
リーダーのハナ肇は63才で急逝。植木等が3年前80歳で亡くなりました。
シャボン玉ホリデーと言うTV番組とクレージーキャッツがはやった頃は「まじめに働いてさえいれば日本も会社もそして自分も今日よりは明日が良くなっている」と信じられる良い時代でした。
歌謡界や芸能界もそうですが80歳前後の方がなくなり戦後昭和の良かった時代が終わりを告げているのを痛感します。
事故死なので特に残念ですが謹んでお悔やみを申し上げます。 合掌
読売新聞:
クレージーキャッツのメンバーとして映画「無責任」シリーズなどで活躍し、“ガチョーン”などの流行語も生みだした俳優の 谷啓 ( たにけい ) (本名・ 渡部泰雄 ( わたべやすお ) )さんが11日午前5時ごろ、入院先の杏林大学医学部付属病院で亡くなった。
78歳。告別式などは未定。10日午後6時ごろ、東京都三鷹市内の自宅の階段でつまづき顔や頭を強打、同病院に運ばれていた。
東京都出身。高校時代からトロンボーンを始め、ミュージシャンを目指して中央大学在学中の1953年、原信夫とシャープスアンドフラッツに入団。米国のコメディアン、ダニー・ケイをもじって芸名を“谷啓”とした。
その後、フランキー堺とシティ・スリッカーズを経て、56年、ハナ肇や植木等らがいたコミック・バンドのクレージーキャッツに加入。2人に続く「第3のスター」として売り出された。(引用終わり)
昨日11日早朝クレージーキャッツのメンバーであった谷啓さん(78)が急逝されました。
階段で躓きと有りましたから「降りてくる途中で足が縺れ頭からまっ逆さま」とばかり創造していましたが別紙では「階段を上る途中で」と有りました。
上る途中なら「とっさに顔を庇っても良かったのでは?」と勝手に想像して「結構お年の割りに衰えていたのかな?」なんて思う始末。
リーダーのハナ肇は63才で急逝。植木等が3年前80歳で亡くなりました。
シャボン玉ホリデーと言うTV番組とクレージーキャッツがはやった頃は「まじめに働いてさえいれば日本も会社もそして自分も今日よりは明日が良くなっている」と信じられる良い時代でした。
歌謡界や芸能界もそうですが80歳前後の方がなくなり戦後昭和の良かった時代が終わりを告げているのを痛感します。
事故死なので特に残念ですが謹んでお悔やみを申し上げます。 合掌
読売新聞:
クレージーキャッツのメンバーとして映画「無責任」シリーズなどで活躍し、“ガチョーン”などの流行語も生みだした俳優の 谷啓 ( たにけい ) (本名・ 渡部泰雄 ( わたべやすお ) )さんが11日午前5時ごろ、入院先の杏林大学医学部付属病院で亡くなった。
78歳。告別式などは未定。10日午後6時ごろ、東京都三鷹市内の自宅の階段でつまづき顔や頭を強打、同病院に運ばれていた。
東京都出身。高校時代からトロンボーンを始め、ミュージシャンを目指して中央大学在学中の1953年、原信夫とシャープスアンドフラッツに入団。米国のコメディアン、ダニー・ケイをもじって芸名を“谷啓”とした。
その後、フランキー堺とシティ・スリッカーズを経て、56年、ハナ肇や植木等らがいたコミック・バンドのクレージーキャッツに加入。2人に続く「第3のスター」として売り出された。(引用終わり)
突然の訃報、驚くばかりです。
ただ、拙僧、高校の時に教わった先生の1人が、やはり自宅階段にて転落死しました。その意味では、或る程度年齢を重ねられた方に等しく訪れるリスクだということなのでしょう。気を付けたいものです。
クレージー・キャッツ、あの世の方がメンバー揃い、かえって楽しいかもしれませんね。
長い闘病のあとの死も今回の様な死もどちらも辛いです。人ごとでない年になりました。