NY在住で世界的に活躍する音楽家の坂本龍一さんが3月28日に亡くなったことが2日マネジメント社の発表で判ったそうです。
71歳と有りましたから、今時若い最後だなー? と思いました。
例によって坂本龍一氏の音楽について何を知っているわけでも有りません。
昔「戦場のクリスマス」でビートたけしが出て坂本氏も出演したのを見た覚えがあり、「ラストエンペラー」は映画として見て楽しんだだけで、音楽性と無関係でした。
それでもNYから反原発とか反戦のメッセージを出すのを知っていました。東日本大震災以降は民生の支援にまで手を広げていました。
謹んで哀悼の意を表します。 合掌
各紙の情報を合わせると、何と2014年になんと中咽頭がんを公表し寛解し精力的に活動していたが、21年1月には直腸がんを公表、何と転移もあった様で1年で6度にわたる大手術が有った年も有ったと知り大変な晩年だったのだと驚きました。日本のマネジメント会社の訃報の最後にラテン語が書いてあり(あちこち調べたら)芸術は長く、人生は短し との意だそうです。
最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します
Ars longa, vita brevis
Ars longa, vita brevis
家族葬を済ませた事、弔問、ご香典、ご供花につきましても辞退されているのを知り、この日の有るのを覚悟の毎日だったと拝察しました。人生で晩年を全うするのは難しいものですが、見事に果たされました。
改めてご冥福をお祈りします。 合掌
写真:坂本龍一さん
スポーツ報知:
米ニューヨーク在住で世界的に活動する音楽家の坂本龍一さんが3月28日に亡くなったことが2日、分かった。71歳だった。14年に中咽頭がんを公表し、復帰後は精力的な活動を続けていたが、21年1月に直腸がんを公表していた。細野晴臣、高橋幸宏さんとの3人組テクノグループ・YMOとして名声を博し、解散後は、俳優として映画初出演した「戦場のメリークリスマス」の音楽を担当。映画「ラストエンペラー」では、日本人として初の米アカデミー作曲賞を受賞した。
“世界のサカモト”が逝った―。強烈なインパクトを与えたのは、音楽を手がけた映画「戦場のメリークリスマス」(1983年、大島渚監督)だった。同作で英アカデミー賞作曲賞を受賞。俳優としてもデビッド・ボウイさん、ビートたけしと共演し、陸軍大尉ヨノイ役を好演した。
中国・清朝最後の皇帝の生涯を描いた映画「ラストエンペラー」(87年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)では、サウンドトラックを担当。日本人として初めて米アカデミー作曲賞を手にした。グラミー賞オリジナル映画音楽賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞など世界的な音楽賞を総なめにし、その地位を不動のものにした。
坂本さんは幼少期からクラシックを学んできたが、東京芸術大学大学院在学中、フォーク歌手・友部正人のバンドメンバーに参加。以来、キーボード奏者として山下達郎、大瀧詠一らニューミュージックのアーティストとの共演で名をあげ、78年10月にアルバム「千のナイフ」でソロデビュー。並行して、細野の誘いでYMOの結成に参加し、同年11月、YMOもアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」でデビューした。
YMOは翌79年のワールドツアーで、シンセサイザーとコンピュータを駆使した音楽スタイルで欧米の音楽関係者やファンを驚かせた。中国風のえんじ色の特製スーツなどファッションも注目を集め、テクノポップのブームを作り、アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は世界的な大ヒットになった。
2001年の米同時多発テロを身近に体験したのを契機に「非戦」を唱えるなど社会活動にも精力的に取り組んだ。環境問題や音楽著作権問題に携わり、2011年の東日本大震災以降は反原発を表明。被災三県(岩手・宮城・福島)を中心にした子どもたちの楽団「東北ユースオーケストラ」の音楽監督を務めた。
晩年はがんとの闘いの連続だった。14年7月に中咽頭がんを公表し、自宅のあるニューヨークで1年間の治療と療養を経て、15年に復帰。がんは寛解し精力的に活動していたが、21年1月に直腸がんを公表。直筆で「残念ながら、新たに直腸がんが見つかりました」と無念のコメントを寄せた。さらに、22年6月発売の文芸誌「新潮」では、21年10月と同12月に両肺に転移したステージ4のがんの摘出手術を受けたと告白。22年12月には「これが最後になるかもしれない」というラストライブを行い、「自分としては新境地かなという気持ちもあります」と話していた。
〈引用終わり)
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