王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

加藤和彦さん 自殺

2009-10-18 06:23:16 | 芸能
「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦さん自殺(読売新聞) - goo ニュース

昨日午後店番をしながらラジオを聞いていますとニュースの時間に音楽プロデューサーの加藤和彦さんが自殺したと報じていました。

謹んでお悔やみ申し上げます。  合掌

加藤さんについて何を知っている訳でもないのですが2-3週間前「テリーの乗ってけラジオ」でビートルズの話、帰って来た酔っ払いの作曲で音を逆回しした話、更に近く行われるイベントの内容等を普通に話していた方がそうではなかったか?と思い出した次第。

それと「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲は爺でも知っています。
それから連想されたのですが爺がサラリーマンで元気で働いていた昔、結構売れていたコピーライターが「楽しくないのに楽しい作品なんか書けません」と書き残して自殺してしまった事件がありました。

そこで加藤さんは「素晴らしい愛」をもう一度掴めなかった事に絶望して自殺したのかな?とふと思った次第なんです。
加藤さんの「素晴らしい愛」は何だったのでしょう?
或いは自殺は全く別な理由かもしれません。
改めてご冥福を祈ります。

読売新聞;
17日午前9時25分頃、長野県軽井沢町のホテル客室の浴室で、東京都港区六本木、音楽プロデューサー加藤和彦さん(62)が、ロープのようなもので首をつって死んでいるのを、従業員と軽井沢署員が見つけた。

 目立った外傷はなく、室内には音楽全般に対する悩みなどをつづった遺書が2通残されていた。同署では自殺とみて調べている。

 発表によると、加藤さんは16日、1人でホテルを訪れ、本人名義で宿泊。17日朝、加藤さんの知人女性(34)から、宿泊を確認する内容の電話があり、ホテルの担当者が内線電話をかけたが、応答はなかったため、軽井沢署に通報した。

 捜査関係者によると、2通の遺書は、音楽関係者とホテルあてで、印字されており、宿泊前に用意されていた可能性が高いという。

          ◇

 加藤さんは京都府生まれ。1965年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成、67年に発表した「帰って来たヨッパライ」で一世をふうびした。朝鮮半島分断の悲劇をテーマにした「イムジン河」は発売中止になった。

 グループ解散後、北山修さんとのコンビで71年に発表した「あの素晴しい愛をもう一度」は、現在まで合唱曲としても親しまれている。また、ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成し、73年に初アルバムを発表。海外でも公演し、日本のバンドが世界進出する先駆けとなった。妻だった作詞家の安井かずみさんとのコンビで作曲した作品も多く、市川猿之助さんのスーパー歌舞伎の音楽も手がけるなど多彩な活動で知られた。

 2006年にはボーカルに木村カエラさんを迎え「ミカ・バンド」を再開したほか、坂崎幸之助さんと組んだ「和幸」などで活躍。今月行われた松任谷由実さんのコンサートにゲスト出演、元気な姿を見せた。来月5日に、大腸がん撲滅のためのチャリティーコンサート出演の予定もあった。
(引用終わり)

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