【震度5弱・津波】よみがえる5年前の恐怖 「海が揺れた」「早く上がっぺ」
22日の朝この日は用事があって6時に起きました。
起き上ったら軽く「フラッ」としたので血圧が高いか?とおもったらその後軽い揺れが十数秒くらい続きました。ああ地震だ! でも震度2にもならないな! と思い定めて身支度を整えTVを点けるとなんと「福島」沿岸を中心に地震のため「3メートル」の津波予報!!
すぐ逃げて!! との警報が皆様のNHKを始めTV各局が地震の特番を組んでいました。
あー現地は大変だなー! と思いながら画面を見ていると地震は福島沖の地盤で起きたようで「津波」の来週を予想し「逃げてください!」と訴えているわけでした。
時間とともに沿岸の港では「まず引き潮現象が起き海水が起きえと引いている」画像も流れました。
ああこの後上げ潮による津波だなーなどと心配しながら見ていました。
その後仕事でTVは見ませんでしたが昼頃まで福島沿岸が大きな津波に襲われた情報はありませんでした。
大きく警戒して被害は最小に抑える方針が効いたようで軽症の方が数名とコンビニ、スーパーや自宅の物品が損壊した程度で、それとその後小型のボートか漁船が10艘ほど転覆したと報じましたが軽滅的損害は出ないで済みました。
良かったですね。
ホッとしてます。
この地震は20011年春の東日本大地震の余波だそうでまだこの規模の余波はありうるそうで該当地区の皆さんは落ち着きませんね。
今回は素早く「高台に避難」した方がかなりいたので先の教訓は生きたと言えますし、一部は車で避難のため道路が大渋滞だそうです。津波がすぐ来なかったので命に別状ありませんでしたが今後の避難の方法について検討しないといけない様です。
我が家でももう一度備蓄を考えないといけません。
写真:大洗港
産経新聞:
5年前の恐怖がよみがえった。22日早朝、福島県などを襲った地震と津波。サイレンと防災無線が鳴り響く中、甚大な被害が出た平成23年3月の東日本大震災をいや応なく思い起こし、住民らは避難や安全確認を急いだ。
午前5時59分。福島県いわき市の自宅寝室で長女(6)や次女(3)と眠っていた市職員の鈴木浩貴さん(45)は、ゆっくりした横揺れに気づき、目を覚ました。体を起こしたところで突然激しい揺れが始まった。すぐに娘2人に寄り添った。
立てかけていた高さ1・5メートルの鏡が倒れたが、大きな被害はなし。ほっとしたところで食料備蓄の不足に気づいた。「震災直後はいろいろと準備していたけれど…」。自戒しながら、慌ただしく市役所へ向かった。
「布団の中で体が揺さぶられている感じ。あのときのことをすぐ思いだした」と顔をこわばらせたのは、東京電力福島第1原発に近い同県広野町の主婦、遠藤政子さん(80)。同町の農産物直売所組合長を務める塩史子さん(71)は「(原発事故の)風評被害がようやく落ち着いてきたのに…」とうめいた。
■潮引き「まずい」
50センチの津波を観測した茨城県大洗町。海岸近くで釣具店を営む高松久雄さん(48)は地震発生時、客数人と店内にいた。「釣り人を注意しに行ったら、潮が引き始めていた。『まずい』と思い、高台の自宅まで急いで車で戻った」
大洗港からは、津波を避けようと大半の漁船が出港して沖に出た。漁師の飛田宏光さん(38)は「潮の流れが変わり、1メートルくらい潮位が上がったのを目撃した」。
宮城県七ケ浜町の寺院「養松院」は、仙台湾を望む約10メートルの高台に位置する。指定避難所だが、震災では参道の階段まで津波が押し寄せた。今回も沿岸部の防災無線から避難を呼びかけるアナウンスが鳴り響いた。
「海が小刻みに揺れ、波立っていた」。楡木(たもき)泰教住職(39)の脳裏にも悪夢がよぎった。
■避難も募る不安
津波を警戒して避難所に身を寄せた住民らは不安を募らせた。福島県いわき市の介護老人福祉施設「望洋荘」の駐車場は避難者の車であふれた。
「早く(高台に)上がっぺ」。住民の三浦春男さん(81)は地震が収まると、隣人らに声を掛け避難を急いだ。「自分の身は自分で守る」という大震災の教訓を生かした。
岩手、宮城、福島3県の沿岸部では防潮堤の復旧を進めてきたが、国土交通省のまとめでは9月末時点で、整備予定の計591カ所のうち完成は21%。三浦さんは「いくら高くしても、どんな津波が来るかは分からない」と警戒を怠らない。
(以下省略)
22日の朝この日は用事があって6時に起きました。
起き上ったら軽く「フラッ」としたので血圧が高いか?とおもったらその後軽い揺れが十数秒くらい続きました。ああ地震だ! でも震度2にもならないな! と思い定めて身支度を整えTVを点けるとなんと「福島」沿岸を中心に地震のため「3メートル」の津波予報!!
すぐ逃げて!! との警報が皆様のNHKを始めTV各局が地震の特番を組んでいました。
あー現地は大変だなー! と思いながら画面を見ていると地震は福島沖の地盤で起きたようで「津波」の来週を予想し「逃げてください!」と訴えているわけでした。
時間とともに沿岸の港では「まず引き潮現象が起き海水が起きえと引いている」画像も流れました。
ああこの後上げ潮による津波だなーなどと心配しながら見ていました。
その後仕事でTVは見ませんでしたが昼頃まで福島沿岸が大きな津波に襲われた情報はありませんでした。
大きく警戒して被害は最小に抑える方針が効いたようで軽症の方が数名とコンビニ、スーパーや自宅の物品が損壊した程度で、それとその後小型のボートか漁船が10艘ほど転覆したと報じましたが軽滅的損害は出ないで済みました。
良かったですね。
ホッとしてます。
この地震は20011年春の東日本大地震の余波だそうでまだこの規模の余波はありうるそうで該当地区の皆さんは落ち着きませんね。
今回は素早く「高台に避難」した方がかなりいたので先の教訓は生きたと言えますし、一部は車で避難のため道路が大渋滞だそうです。津波がすぐ来なかったので命に別状ありませんでしたが今後の避難の方法について検討しないといけない様です。
我が家でももう一度備蓄を考えないといけません。
写真:大洗港
産経新聞:
5年前の恐怖がよみがえった。22日早朝、福島県などを襲った地震と津波。サイレンと防災無線が鳴り響く中、甚大な被害が出た平成23年3月の東日本大震災をいや応なく思い起こし、住民らは避難や安全確認を急いだ。
午前5時59分。福島県いわき市の自宅寝室で長女(6)や次女(3)と眠っていた市職員の鈴木浩貴さん(45)は、ゆっくりした横揺れに気づき、目を覚ました。体を起こしたところで突然激しい揺れが始まった。すぐに娘2人に寄り添った。
立てかけていた高さ1・5メートルの鏡が倒れたが、大きな被害はなし。ほっとしたところで食料備蓄の不足に気づいた。「震災直後はいろいろと準備していたけれど…」。自戒しながら、慌ただしく市役所へ向かった。
「布団の中で体が揺さぶられている感じ。あのときのことをすぐ思いだした」と顔をこわばらせたのは、東京電力福島第1原発に近い同県広野町の主婦、遠藤政子さん(80)。同町の農産物直売所組合長を務める塩史子さん(71)は「(原発事故の)風評被害がようやく落ち着いてきたのに…」とうめいた。
■潮引き「まずい」
50センチの津波を観測した茨城県大洗町。海岸近くで釣具店を営む高松久雄さん(48)は地震発生時、客数人と店内にいた。「釣り人を注意しに行ったら、潮が引き始めていた。『まずい』と思い、高台の自宅まで急いで車で戻った」
大洗港からは、津波を避けようと大半の漁船が出港して沖に出た。漁師の飛田宏光さん(38)は「潮の流れが変わり、1メートルくらい潮位が上がったのを目撃した」。
宮城県七ケ浜町の寺院「養松院」は、仙台湾を望む約10メートルの高台に位置する。指定避難所だが、震災では参道の階段まで津波が押し寄せた。今回も沿岸部の防災無線から避難を呼びかけるアナウンスが鳴り響いた。
「海が小刻みに揺れ、波立っていた」。楡木(たもき)泰教住職(39)の脳裏にも悪夢がよぎった。
■避難も募る不安
津波を警戒して避難所に身を寄せた住民らは不安を募らせた。福島県いわき市の介護老人福祉施設「望洋荘」の駐車場は避難者の車であふれた。
「早く(高台に)上がっぺ」。住民の三浦春男さん(81)は地震が収まると、隣人らに声を掛け避難を急いだ。「自分の身は自分で守る」という大震災の教訓を生かした。
岩手、宮城、福島3県の沿岸部では防潮堤の復旧を進めてきたが、国土交通省のまとめでは9月末時点で、整備予定の計591カ所のうち完成は21%。三浦さんは「いくら高くしても、どんな津波が来るかは分からない」と警戒を怠らない。
(以下省略)