季節は確実に秋から冬に向かっていた。
比叡おろしの冷たい北風が四条通りに吹いた。
そんな季節とは裏腹に熱くなっている自分がいた
1981年京都
(あと少し、もう出る、もうちょっとや)
朝から四条河原町のパチンコ屋に入れあげていて
財布の中の金はもうほとんどが残っていなかった
(もう少しでフィーバーするはずや7こい!7こい!)
(フィーバーしたら新京極できつねうどん食べて生八つ橋買うて帰んねん)
(もう少しもう少しや)
と思いながら7が揃う事を願ったが
結局数字は揃わず
気が付いた時には帰りの電車賃までつぎ込んでいて
手元には30円ほどしか残っていなかった
(どないしょ・・きつねうどん食うどころか大阪まで帰られへん)
途方に暮れた僕は30円を握りしめて街に出た
もう時刻も10時に近く
デパートのシャッターもガラガラと音を立てて閉まり出し
人々は家路を急いだ
僕はのろのろと歩いていた。
何処からか、もんた&ブラザーズの‘ダンシングオールナイト,が聞こえて来た。
(わし‘ダンシングオールナイト,どころか30円しか持ってないんやけど)
安いナイロン製の皮ジャンに履き古しのジーパン
風呂に入らず飯も食わず
毎日のように京都に通った
ただパチンコを打ちに
夢に向かって邁進する奴もいる
幼なじみのシゲルは京都の佐川急便に勤めて走り回っていた
後の大臣、前○は国を憂いながら京都大学で勉学に励み
同じ時期、同じ年頃
無職な僕は30円握りしめて夜の京都の街をさまよっていた
(けっ!30円じゃ缶コーヒーも買えん)
寿司屋のショーケースに目をやりながら
(もう少し金持ってたら寿司食えたんやけど)
とか考えた
けっして始めからパチンコをしないで寿司を食べると言う考えは無かった
いつも購買の前提にパチンコで勝つがあった
夢と希望を叶える前提に努力があるなど毛頭考えた事が無かった
寒かった
心細かった
それでもズボンに手を入れてある場所に向かった
いつも行き着くのは鴨川
四条大橋から暗い鴨川を見下ろしたら
橋の上のまぬけな自分と街のネオンが映っていた
その時
ツーと鼻水が流れた