そうしたところ乱戦の中、忠右衛門の目に赤い幌を着けた武者侍を見つけた
幌侍は主君の親衛隊とも言われるエリートだ
(あいつだ、相手に不足は無い)
忠右衛門は幌侍に駆け寄り名乗り上げた
「われこそは長曾我部盛親が家臣忠右衛門、お手合わせ願いたい」
「おのれ、ちょこざいな、こわっぱのくせにわしに勝負を挑むとは」
その時、山田何べえは突風のように騎乗から忠右衛門めがけて槍を突き下ろした
おお~怖っ
忠右衛門は一瞬身を伏せた
その時、一陣のつむじ風が戦場を舞い山田何べえの目に砂埃が飛び込み
山田何べえは手で目を覆った
「今だ」
忠右衛門は渾身の力で槍を山田向かって突き上げた
「うっ!」
勝負は一瞬で終わり
忠右衛門は初陣で敵の兜首を挙げた
近づいて来た味方の家臣が兜首を見て
「やや、これは藤堂高虎の重鎮山田何べえだ、忠右衛門勝ち名乗り上げろ」
それを聞いて忠右衛門
「われこそは長曾我部盛親が家臣、忠右衛門なりぃ~藤堂高虎殿家臣山田何べえ殿を打ち取ったりぃ~」←ここが大事
その後、長曾我部隊は押し返され盛親は大阪城に撤退し忠右衛門の夏の陣は終わった
しかし、忠右衛門の功名は敵味方に知れ渡った
最後まで稚拙な文章を読んで下さりありがとうございました。
byひろ造
忠右衛門の夏の陣の様子を小説風に書いてみよう
慶長20年(1615年)5月6日未明、八尾の戦場は深い霧で覆われていた。
堤の上からときおり饐えた臭いのする生暖かな風が湿地の葦の葉を揺らした
忠右衛門ら長曾我部盛親隊は草むらに身を低くして敵の気配を窺っていた。
霧の向こうからドスンドスンと多くの馬の蹄の音がこちらに近づいて来る
ガチャガチャと甲冑の触れ合う音も聞こえる
忠右衛門の槍を持つ手が震え、胸の鼓動もドクンドクンと高鳴り耳に陣ぶれの太鼓より大きく鳴り響いた
忠右衛門の袴の中に生暖かい水が漏れた、忠右衛門は緊張の為、しょんべんまで漏らした
忠右衛門、この時22歳この日が初陣だった
父は盛親と一緒に関ヶ原に参陣はしたが長曾我部軍は戦に加わらなかった
父はその後、病気で亡くなり
祖父は秀吉の朝鮮の疫に出陣し、かの地で討ち死にした
猫の額ほどの領地も関ヶ原の戦い後、土佐に入って来た山内氏に取り上げられ
流浪の身となった今では失う物は何も無かった
そう考えて来ると少し冷静さを取り戻して来た
(侍として生きて来たからには最後は潔く戦って死のう)
少し霧が晴れて来てもうすぐ戦いが始まる、忠右衛門は槍の柄をぎゅっと握りしめた
その時、味方の陣から法螺貝が鳴り、どーんどーんと太鼓が打ち鳴らされた
突撃の合図だ、
忠右衛門の血はさかのぼりワーと言う鬨の声を叫びながら無我夢中で相手陣内へ突入した
あちこちで甲冑がぶつかりあい叫び声とうめき声、怒号が響き渡った
(どうせ、打ち倒されるならへたな雑兵にやられるより大物にやられよう)
忠右衛門は騎乗の兜武者を探した
続く