毎日々、心の折れるような事ばかり
景気は悪いし、
金は無い
齢を重ねるばかり
遠い昔、10代最後の冬
クリスマスの頃
毎日、大阪から京都のパチンコ屋に通った
比叡おろしがピューピューと四条通に吹きすさび
鴨川から白い湯気の様な霧が出ていた
河原町のミカドと言う名のパチンコ屋はその頃にもう他所では見かけなかったスマートボールの台が置かれていた。
斜めになった台にゴルフボールより少し小さな玉をバネで弾いて穴に落ちた点数で玉が増える
その頃のパチンコはもう連発式の電動ハンドルが主流だったが
連発式だとすぐに持ち球が無くなるが
一発づつ弾くスマートボールだと時間をかけて遊べる
19歳、恋に勉強にと人生の一番輝かしい頃
そんな19歳のプー太郎な僕は鼻水をたらしながらあるだけの金で毎日スマートボールを打ちに行った
京都まで
幕末、維新国を憂い大勢の浪士や侍達が血を流し
遠い時代も戦いに明け暮れ、動乱を繰り返し
そんな京都に無職な僕は毎日行った
いつも一人ぼっちだった
スマートボールが友達だった
(ははは!)
もちろんスマートボールもほかのパチンコと同様換金出来た
でもスマートボールの儲けなんてたかが知れていた
儲かると新京極のきつねうどんを食べて一番安い生八つ橋を買って帰った
新京極のきつねうどんはコシが無かった
そしてあくる日また河原町に来た
時には弁当持参で行った
学校や仕事にじゃ無くて、パチンコ屋に弁当を持って行ったんだ
白いご飯にかつお節をかけただけの弁当
(思い出すとあまりの情けなさに涙が出て来る)
パチンコの合間に
寒い寒い鴨川まで歩いて行って土手に座ってにゃんこ弁当を食べた
加茂の流れを眺めながらいったいあの日の19歳は何を考えていたんだろう
ふとそんな頃を思い出す今日この頃