(ここはどの辺だろう)
僕が初めて来た場所、名神高速道路の上だ
気が付くとその時フロントガラスの向こうに小さな白い粉が舞ってる
だんだんその白い粉は量を増して大きさも大きくなって来て車に向かって来る
灰色一色だった視界の先が急に白色で埋め尽くされてきて
車が白い壁に向かって走っているような気になった
運転手の社員が
「まいったな、チェーンを巻かなきゃ」
そう言って路肩に車を止めるとあちらこちらでもチェーンを巻く作業をしている
(雪ってこんなにあっという間に大きくなるんだ)
僕はその時、皆の混乱をよそに感動していた
(これや!これが雪やな新日本紀行でよく見る雪や!)
白い雪がこの世の中の汚いものをすべて覆い隠してくれるような気がした
あくる日、玩具問屋に行くと昼休みに普段倉庫で見かけない会社のえらいさんに呼ばれた
「ちゃ~飲みに行こか?」
しげると二人で喫茶店に誘われた
「何日かお前らの働きを見とったけど」
(あんたは見て無いやん、見とったんはじじいじゃ)
「お前らは将来ろくなもんにならへんな」
こんな事を言われてしげると二人でその日にクビになった
終わり
そんなアホな
わしらは時給なんぼで雇われてるのに2時間タダ働きせえっちゅーて
そんなん出来るかい!
・・としげると二人して5時で帰った
じじいはそんなわしらを横目でじぃーと見ていた
2~3日たった頃、肥えたおばはんがわしら二人ににこにこしながら言った
「あんたら‘うち,と一緒やて、おえらいさんが言うてたで」
「‘うち,と一緒で‘役たたん,って」
「あっ!一緒や、いっしょ~♪」
おばはんは嬉しそうにそう言った
まあ僕もしげるもパチンコには熱を上げても労働意識は皆無だった
それにしてもここのえらいさんわしらはええけどおばはんまで役立たずとか言うか?
今はどうか知らないけど
その頃の大阪の風潮は従業員を雇うってやってるんだって感じがした
僕自身、何十人も従業員を雇って来たけど働いて貰ってるんだよ
あの頃の大阪は従業員をこき使ってなんぼだった
その日は営業の社員と玩具の配達の助手としてワゴン車の助手席に乗った
気の良さそうな社員だったけど僕は内心・・
(ようこんな会社におるな他に仕事は無いんかい)
と思った
車は名神高速に乗って京都方面に向かった
その時、初めて嵐山に行った
渡月橋を渡り桂川に沿って走り
一度行って見たいと思っていた嵐山博物館を通り越した
京都市内で何軒か玩具屋を周りまた高速道路に乗って東に東に向かった
なんだか寒くなって来て
(いったいどこまで行くんだろう)
・・と心細くなって来てうつらうつらしながら外を眺めたら
琵琶湖バレイと言う看板が出て来た
3に続く
まだ駐車場に雪が残っていて困ったな
初めて雪を見たのはいつの頃だったろう
故郷の高知でも山間部は雪が降るしスキー場だってある
でも僕の生まれ育った海沿いの小さな町では雪は降らなかった
(ここ最近は稀に降るみたい)
高校生の頃、初めて通学途中に粉雪の舞った事があったけどそれくらいだな
本格的な雪を見たのは今から40年も前の10代最後の年
もう12月に入っていたと思う
20歳を目前にして来年の去就すら見えずにいたのに
相変わらずパチンコ屋に入り浸っていて
負けが混んでその日食べる金も無くなった頃
パチンコ屋で知り合った同い年のシゲルがアルバイトを探して来た
そして二人して雇われたのが玩具問屋の倉庫番だった
今で言うピッキングって奴かな
玩具屋の注文の応じて品物を用意するんだけど
先輩の倉庫番にはよう肥えたおばはんと目つきの悪いじじいと二人がいた
肥えたおばはんは、頭が悪そうに「えへへ」といつも愛想笑いをしてた
じじいは愛想もへったくれも無しに横目でわしらを睨んでいた
じじいが倉庫番の責任者だな
しげると二人でちんたら仕事をこなして5時が近づいたので
(もうじき仕事終いになるな・・・)
と思っていたらじじいが・・
「仕事は7時までやで」
って言うた
「そうですか・・5時までって聞いとったんですが」
そう言ったら、その後恐ろしい事を言い放った
「給料が出るのが5時までで仕事は7時まであるんじゃ!」
「・・・」
2に続く