ほんまにお客さん来ぃへんな
先月の収入は家賃と駐車場代ぐらいになったけど
今月はたぶんそれもかなわんな
学費のかかる子供がおったらと思うとぞっとするわ
衰退産業の悲哀だな
うちの実家がそうだった・・
親父は一本釣りの漁師だったけど
僕が高校を卒業した年は姉も兄もまだ学生だったので仕送りが3人分だった
あの頃の漁師さんは儲かっていたんだな
いや儲かっていなくても皆どうにかなったんだ
それがいつの頃からか漁師では食うのが精一杯で子供をとても上の学校にやれない
と言う時代に入った
漁師は衰退したけど他の産業が隆起した
それがここ何年か日本で隆起する産業が無くなった
それにこのコロナじゃ
各種助成金でどうにか首の皮が繫がっているところがあるけど
それが無くなったら怖いよ
この連休も実につまらん時間を過ごしてしまった
風呂屋に行って酒飲んで昼寝して・・・
そう言えば成人式の日だったんだ
うちの助手の妹さんも大学2年で新成人なんだが
なんと成人式が中止になり式はリモート中継になってしまった
大学の授業もほぼリモートに戻ったそうだ
人生の一番いい時期になんてこったい!
僕も40年・・・前か
成人式があった・・けど
行かれなかった
母に送って貰った大枚のスーツ代20万をパチンコにつぎ込んで着て行く服が無かったし
それにその頃はプー太郎だったんで同級生にあって現状を聞かれるのが嫌だった
思い起こせばあの年は人生の最大の分岐点だった
紙一重に人並みな人生のレールの始発点に乗る事が出来た?
おとうちゃん、ありがとう!?
〇〇学園ありがとう!??
あれから40年・・
また今年人生の分岐点なんだろう
今年あたり人並みな人生の終点を迎えるだろう
後は野となれ山となれ
(ここはどの辺だろう)
僕が初めて来た場所、名神高速道路の上だ
気が付くとその時フロントガラスの向こうに小さな白い粉が舞ってる
だんだんその白い粉は量を増して大きさも大きくなって来て車に向かって来る
灰色一色だった視界の先が急に白色で埋め尽くされてきて
車が白い壁に向かって走っているような気になった
運転手の社員が
「まいったな、チェーンを巻かなきゃ」
そう言って路肩に車を止めるとあちらこちらでもチェーンを巻く作業をしている
(雪ってこんなにあっという間に大きくなるんだ)
僕はその時、皆の混乱をよそに感動していた
(これや!これが雪やな新日本紀行でよく見る雪や!)
白い雪がこの世の中の汚いものをすべて覆い隠してくれるような気がした
あくる日、玩具問屋に行くと昼休みに普段倉庫で見かけない会社のえらいさんに呼ばれた
「ちゃ~飲みに行こか?」
しげると二人で喫茶店に誘われた
「何日かお前らの働きを見とったけど」
(あんたは見て無いやん、見とったんはじじいじゃ)
「お前らは将来ろくなもんにならへんな」
こんな事を言われてしげると二人でその日にクビになった
終わり
そんなアホな
わしらは時給なんぼで雇われてるのに2時間タダ働きせえっちゅーて
そんなん出来るかい!
・・としげると二人して5時で帰った
じじいはそんなわしらを横目でじぃーと見ていた
2~3日たった頃、肥えたおばはんがわしら二人ににこにこしながら言った
「あんたら‘うち,と一緒やて、おえらいさんが言うてたで」
「‘うち,と一緒で‘役たたん,って」
「あっ!一緒や、いっしょ~♪」
おばはんは嬉しそうにそう言った
まあ僕もしげるもパチンコには熱を上げても労働意識は皆無だった
それにしてもここのえらいさんわしらはええけどおばはんまで役立たずとか言うか?
今はどうか知らないけど
その頃の大阪の風潮は従業員を雇うってやってるんだって感じがした
僕自身、何十人も従業員を雇って来たけど働いて貰ってるんだよ
あの頃の大阪は従業員をこき使ってなんぼだった
その日は営業の社員と玩具の配達の助手としてワゴン車の助手席に乗った
気の良さそうな社員だったけど僕は内心・・
(ようこんな会社におるな他に仕事は無いんかい)
と思った
車は名神高速に乗って京都方面に向かった
その時、初めて嵐山に行った
渡月橋を渡り桂川に沿って走り
一度行って見たいと思っていた嵐山博物館を通り越した
京都市内で何軒か玩具屋を周りまた高速道路に乗って東に東に向かった
なんだか寒くなって来て
(いったいどこまで行くんだろう)
・・と心細くなって来てうつらうつらしながら外を眺めたら
琵琶湖バレイと言う看板が出て来た
3に続く
まだ駐車場に雪が残っていて困ったな
初めて雪を見たのはいつの頃だったろう
故郷の高知でも山間部は雪が降るしスキー場だってある
でも僕の生まれ育った海沿いの小さな町では雪は降らなかった
(ここ最近は稀に降るみたい)
高校生の頃、初めて通学途中に粉雪の舞った事があったけどそれくらいだな
本格的な雪を見たのは今から40年も前の10代最後の年
もう12月に入っていたと思う
20歳を目前にして来年の去就すら見えずにいたのに
相変わらずパチンコ屋に入り浸っていて
負けが混んでその日食べる金も無くなった頃
パチンコ屋で知り合った同い年のシゲルがアルバイトを探して来た
そして二人して雇われたのが玩具問屋の倉庫番だった
今で言うピッキングって奴かな
玩具屋の注文の応じて品物を用意するんだけど
先輩の倉庫番にはよう肥えたおばはんと目つきの悪いじじいと二人がいた
肥えたおばはんは、頭が悪そうに「えへへ」といつも愛想笑いをしてた
じじいは愛想もへったくれも無しに横目でわしらを睨んでいた
じじいが倉庫番の責任者だな
しげると二人でちんたら仕事をこなして5時が近づいたので
(もうじき仕事終いになるな・・・)
と思っていたらじじいが・・
「仕事は7時までやで」
って言うた
「そうですか・・5時までって聞いとったんですが」
そう言ったら、その後恐ろしい事を言い放った
「給料が出るのが5時までで仕事は7時まであるんじゃ!」
「・・・」
2に続く
毎年、この時期になると築地のマグロの初セリがニュースに登場する
一本のマグロが数千万円になったとか景気のいい話がお茶の間を賑わす
マグロ漁の漁場は大体青森の大間沖か津軽海峡辺りだろう
大間でマグロ漁が行われるようになったのはそんなに昔じゃ無い筈だ
テレビ番組で散々まぐろ漁師の悲喜こもごも取り上げられ
釣れる漁師釣れない漁師のせめぎ合い、暮らしぶりの違い
マグロ漁は丁半博打の漁だ
釣れれば天国、釣れなければ何も意味も無い燃料代も出ない
労働の対価の報酬がまったく伴わない文字通り博打だ
漁師の力量はもちろん重要だが
漁師の運を引き込む持って生まれた天性もあると思う
今から50年も前マグロの一本釣りの漁場は土佐沖の太平洋だった
漁期はやはり真冬の今の時期だ
日が暮れると裸電球を点した冷たい土間で一本釣り漁師の親父はマグロ漁の餌・・
その頃はトビウオの塩漬けだったがそれに細工をして手の平ほどの釣り針に結わえ付ける
あれ?延縄だったっけ?
いや違う船を走らせなが釣るんだから一本釣りだ
今の生きたイカやトビウオと違ってあの頃の餌は塩漬けのトビウオだ
トロ箱一杯の餌をひたすら細工する
陽に焼けてごつごつした傷だらけの手で一匹一匹
細工の仕方如何にマグロが食いつくかどうか
トビウオの餌代も馬鹿にならないが
一番の出費が燃料費だ
土佐沖のマグロ漁は大間の様に陸が見える近海じゃ無くて
船を何時間も走らせて漁場に向かう太平洋だ
それこそ当時一晩の燃料代が30万円も掛かった
マグロが釣れないと餌の手間賃も燃料代も出ない
かわいい子供達にも飯も食わせられない
船の借金も返せない
親父はひたすら塩漬けのトビウオと格闘する
そして夜更けと共に出港する
凍えそうな冷たい晩、真冬の荒れた海に立ち向かう
親父は少々のシケでも漁に出た
家族の生活が一本のマグロにかかっている
海はよ~~おお♪海はよ~おお~♪
市場にトップニュースが流れる・・
近所の〇〇丸のおっさんが300キロのマグロを釣り上げた
浜値で120万だ
50年も前だ
続いて同級生のしんちゃんの親父が200キロを釣り上げた
こっちは80万
漁師町が活気づく
うちの親父が大物のマグロを釣り上げた記憶は全く無い
ただひたすら裸電球の寒い土間でトビウオの餌を細工する親父の姿が記憶にある
けっこう仕事熱心で研究肌だった親父なんだが
‘運,を引き寄せる力が弱かったんだろうな
今、土佐沖でマグロが釣れるなんて聞いた事が無いけど
50年も昔の話
昨日から営業を始めているが思ったとおり暇だ
仕事も気が重いが
それにも増して気が重くなるのは隣組の掃除当番だ
自宅の隣組の20所帯ぐらいで順番に一週間ゴミ置き場の掃除当番が回ってくる
年に3回程度だと思うが
うちのゴミ置き場は駅に一番近くて通勤途中の連中のポイ捨てが後を絶たない
それぐらいなら単に片付ければいいだけだから
(しゃーないなあ)
と片付けられるんだが
ここ数年確信犯なんだけどオシッコ入りのペットボトルを何本も袋に入れて
ゴミカゴやカゴ周辺に置かれてしまう
それをやられるとペットボトルからおしっこを出して
真面目な人はそのペットボトルを洗う処理までしている
だけど片付けない当番もいてそのままにして当番を次の人に引き継ぐ
結局、誰かがやらなくちゃいけないので誰かがババを掴む
もうこうなったらご近所トラブルを生み疑心暗鬼な隣組になる
このペットボトルの犯人もいたずらな軽い気持ちかも知れないが
赤の他人にどんな影響を与えているか分からないだろう
今年の一番の当番がうちだ
その前の当番が一番真面目なAさんから回ってくる
次の当番も真面目なBさん
わしゃおしっこボトルから逃げられない
年末に大掃除をしなかった職場の掃除をやっと最低限終了
写真は30日に行った浅草の立ち食い寿司
昔は行列のできた人気店、この店に寄るたんびに不況感をひしひしと感じる
年末から年始にかけて‘しょうたれ,てばかり
運動もせず掃除もせず庭の手入れもせず
朝風呂、朝酒、朝湯、昼寝・・・そして夜酒
小原庄助さんもびっくり!
なんとかせにゃ