まだまだ夏の花が盛りです
散歩コースの土手に葛の花が咲きました
ちなみに私は人間のクズです。
同じく散歩コースに‘きくらげ,の無人販売店ができました。
‘きくらげ,って野菜炒め以外どうやって食べるんだろう
20歳の時上京して代官山に住んだ
バイト先が虎の門にあったので地下鉄銀座線で渋谷から虎の門まで通っていた
表参道、青山一丁目、赤坂見附・・
夜の授業をたまにさぼって赤坂で途中下車してよくパチンコ屋に行った
渋谷は若者の街、新宿は田舎者の街、赤坂は大人の街だ
その頃、裏通り料亭街は夜になると多くのハイヤーが路上にずらっと並んでいて
お大臣の送り迎えに店の女将や仲居さんが店先で忙しく立ち振る舞っていた
バイト先の忘年会でDrの奢りで初めて料亭に入った時初めて食べた鍋料理の旨さにびっくりした
ロシア料理のボルシチに土佐料理店、一木通りの喫茶店にはスター達が集っていた
TBSの地下に高級寿司店があってバイト先のDrがホステスさんを連れて食べに行ったと聞いて
「なんぼ持って行けば食べられるんですか?」と聞いたら
「10万もあれば大丈夫やろ」と言うんで
10万円持ってその店に彼女を連れて食べに行ったら二人で5千円だった
休みの日には繁華街の反対側に行った
弁慶橋を渡ると赤坂プリンスホテルにニューオオタニ
ニューオオタニの庭園は出入り自由
庭園を抜けると上智大学のグランドを見下ろす松林の土手があって
いつもラグビー部の練習を眺めていた
20歳の僕
いつの間にやら僕は60歳を過ぎた
料亭はほとんど無くなりロシア料理も無くなり韓国料理屋さんばかりになった
プリンスホテルも無くなり一木通りは安い店が増えた
寿司屋のその後はお金が無いので分からない
土佐料理やがんばってる
却って何軒か増えてる
有線放送から‘神田川,が流れて来た・・
あなたは♪もう・・忘れたかしら~♪
流行ったのはもう何年前だろう僕の小学生の頃か
上京したての頃初めてその神田川を見た時
(これがあの神田川)
と思ったのはたぶん僕だけじゃないだろう
三畳一間で同棲はした事が無いけれど三畳一間には住んだことがある
人生の一番輝く10代最後の2年間をその大阪のボロアパートで悲惨な生活を送った
アパートの近くに安威川と言うけっこう大きな川が流れていて暇なプー太郎だった僕は夕暮れになると
橋の下の壁にボールをぶつけてひたすら一人キャッチボールに興じた
ゴーという音が近づいてくると鉄橋を渡る茶色い車体の阪急電車が見えた
川の対岸の茨木の町が茜色に染まり秋風が吹き寄せて中洲のすすきの葉を揺らした
19歳の夏の終り何時も焦っていた
将来が見えない
何をすれば良いのか分らない
土手に座って煙草を吸っているとタッタッタと土手の上を走る音が近づいてくる
僕の後ろを体育大学の陸上部の女の子達がランニングで通り越した
白いTシャツと上下に揺れる胸元が眩しかった
彼女たちは目標に向かっている
僕にはその目標が無かった