皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

前谷天神社と光明寺

2018-05-01 21:47:15 | 神社と歴史 忍領行田

 国道17号熊谷バイパスを鴻巣から走ってくると渡柳を過ぎてなお豊かな田園風景が続く。下忍交差点の先行田駅に向かう方面が前谷地区。古くは持田村の一部で前谷新田と呼び、『風土記稿』にも持田村の小名として前谷村と載っているそうだ。言い伝えに『三千坊沼。前谷にあり。古は大沼なりしが今は田んぼとなる。この沼に鐘沈みしを成田竜淵寺和尚法力を以て取り上げ、寺に持行、其の休みし処を鐘置橋といふ。鐘置橋は皿尾より上之村へ行く中程小川に係る橋をいふ也。然して龍淵寺に在りしがしが今は常陸筑波山にありといふ。』(増補忍城名所図会)この橋の場所は定かではないが、忍の行田の昔話にある『沖の天神』につながっているように思う。新田開発後も治水に悩む湿地帯で古くから水損の地であったとされる。所謂悪田と呼ばれる地域だ。しかしながらこうした治水に悩む地域はかえって相互の協力を生み、神に対する信仰も厚くなるのだと思う。共同体として苦難に立ち向かうと団結するのだろう。

神社境内北には真言宗光明寺が経っている。光明寺には不動堂があり、『前谷の不動様』として各地から信仰を集めていた。理由は昔悪病が流行った際、この不動様を信仰していた人々は軽くて済んだと伝えられていることからだ。真偽はともかく各地から講社が集い三月末の百万遍の日には各講社からの代参で賑わった。また光明寺には江戸期の法華経が残されていて八巻の内三巻が金銀泥で交互に書かれ文字も鮮明に残されている。(市指定有形文化財)

 
参拝の際は神仏両方に参るのを例としている。昭和40年代頃から多くの講社は途絶えたとされているが、新興住宅が立ち並ぶようになった今でも寺社共に昔の佇まいを残している。
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