加須市外野の川圦神社。外野の地名については先述の通り、かつての古利根川が本流であった頃、坂東太郎の名のにふさわしく幾度となく流れを変え、堤の外に位置していたことに由来する。明治に入り外野村が大越村に合併された際、村格から無各社になった歴史があるという。
祭神は弥都波能売神(水波能売命)と河菜姫命。どちらも水神にあたり、水波能売命は古事記に於いて伊邪那美命が迦具土命を産み焼かれた際に、伊邪那美命の尿からなった神とされている。尊い水の神として祀られている。
歴史散歩利根川の碑によれば川圦神社のあった堤防の外、現在の河川敷の中にはかつて川圦河岸という船着場があって大変賑わっていたが、船運の廃止でいつしか河岸は姿を消してしまった。また利根の改修で堤防が拡張され、神社も今の場所に移された。
ある年連日の大雨で水かさが増し、堤が切れそうになり、地元の人々は神仏に祈ったが水は引かず、村人の中から「人柱を立てねば村が流される」という声が出た。その時川を越えられずに近くに留まっていた巡礼の母子が目に入った。血気走った村人によって母娘は激流に投げ込まれ、雨はやみ堤も事なきを得たが、それから村には疫病が流行り農作物も不作が続き、凶事が続くこととなった。
水難から村を救うためとはいえ、旅の六部を人柱として利根川に投げ込んみ、不幸が続くのは六部の祟りだということになって、村中恐れおののいた。六部とは六十六部の略で、六十六回写経した法華経を以て霊場を廻る僧のことで巡礼者と考えられる。「六部殺し」として各地に怪談として残っていることが多い。その後六部の霊を川圦神社に祀り供養したという。
水難に苦しんだ村人たちが後世に伝えようとしたことはどういったことなのか。村という共同体を守るために誰かを犠牲にしてはならないという戒めのように感じる。但しこうした伝承を経て、当時の村の様子を後世に伝えるという強い意志も感じることができる。
今日も境内の北側には雄大な利根川の流れを抑える堤を見ることができる。水難の歴史を物語るようにしっかりとした少し小高い土台の上に美しい社殿が建っている