社伝によれば、建久四年(1194)征夷大将軍源頼朝が富士の裾野で狩りをした際、臣下となった古河下河辺の荘司、下河辺行平が初代古河城主となった時に駿河の国一宮富士浅間大神分霊を勧請したといわれている。遡ること平安末期、新皇と称して立ち上がった平将門を討った藤原秀郷の一族が関東各地に勢力を伸ばし、下野南部にいた小山氏は有力な一族で、下河辺氏はその一門にあたる。また下河辺行平は頼朝臣下の御家人としてその地位を確立し、二代将軍源頼家の弓の師であったという。
神社は村の自然堤防の上に建ち、御祭神は木花咲耶姫命。浅間様の愛称で知られ、女性の信仰が厚かったという。口碑に「湯を浴びて身体を休められるのが一番の御利益だった」と伝わるように、厳しい生活の中でも神湯と呼ばれる湯殿に入って祈願すれば難病が治るとされていた。また古河公方の奥方が病気平癒を祈り、成就に際には神田を寄進したという。
境内の松は美しく手入れがされており、氏子の現在の信仰の様子が分かる。下総と武蔵の境として、また渡良瀬、利根川の流れに寄り添いまた抗いながら長い歴史を刻んできたのが感じられる。