寄居町用土村の歴史は古く、弥生時代中期の用土・平遺跡や古墳後期の谷津古墳群などが見られる。「用土村誌」によれば創建は天平元年(729)。また延暦年間(782~)坂上田村麻呂の東征に際し、この地に立ち寄り土偶を造るのに「この土を用いたりよって淀を改めて用土となす」とある。
時代は下り文明九年(1477)鉢形城の拠って上杉家に背いた長尾景春を太田道灌は上杉顕貞を助けて用土村に敗走させている。江戸期に入り神祇管領により正一位を与えられている。
ご祭神は高靇命(たかおかみのみこと)、暗靇命(くらおかみおみこと)。山の上の龍神と山陰の龍神を表す水神で雨を降らせる霊験が伝えられる。記紀神話の中では伊邪那岐が迦具土神を惨殺した際、剣の柄に付いた血から生まれたとされる。伊邪那美命が迦具土神を産み、陰部を焼かれて黄泉の国にへ行く際多くの神々が現れている。
第六二回式年遷宮に合わせて由緒書きを始め社殿等も整備されている。境内地裏には用土小学校があり、杉林社殿を守るように生えている。
昔は水利が悪く数年に一度しか田植えができなかったとつたえられる。このため降雨を祈る「お水迎え」が盛んに行われた。榛名講として榛名神社で竹筒に水をもらい受け、氏子が盥にあけさらに地場の水を加えて各子に配り、耕作地にまくと黒雲が現れ、雨の恵みがもたらされたという。
宮司家は隣にあり神職代替わりの際には龍神の化身である白蛇を見るという。
「大里郡神社誌」によれば「社掌田村銀太は九歳の時自宅前に白蛇現れ、猫が梁を眺めて呼吸を鋭くせし故仰ぎ見しに白蛇なりきと口伝に伝う」との記述があり代々の世襲の様子が紹介されている。神職世襲は各地に多いが、特殊な逸話や口伝が残っているのは貴重だ。