皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

忍城 谷郷口六ツ門

2018-05-09 12:51:35 | 行田史跡物語

忍藩の穀倉地帯、谷郷、星宮に通じる重要な道の出入りを見張る谷郷御門。明六ツ暮六ツに開閉するのでいつしか六ツ門と呼ばれ地名となった。明け六ツ暮六ツとは江戸期の時刻法で現在の朝晩六時にあたる。

忍城は関東の名城として築城以来二百八十年の歴史を経て明治六年に取り壊された。明治二十一年忍橋から東照宮境内の南を通過し持田へ抜ける行田・熊谷線が開通し、この道路工事の請負人であった田村重兵衛に払い下げ、重兵衛は日頃信仰する加須の不動尊(総願時)に寄進している。これが黒門であるという。黒門は総欅造りで門扉は一枚板からなる。

今年の大河ドラマは幕末から維新にかけて西郷隆盛が描かれているが、ここ忍藩に於いても廃藩置県・版籍奉還は大きな出来事だった。財政は逼迫し、藩主と侍は居場所も仕事もなくなったのだ。昨年の市民大学講座でも当時の混乱ぶりについて触れられていた。大手門を始め忍城払い下げ入札価格の合計は2334円。現在の価値で四千五百万ほどですべて払い下げられたと考えられている。
 戦国時代15世紀後半から四百年あまり続いた忍城の歴史は幕を閉じたとされる。現在残る場内の建築物はこの総願寺黒門のほかに郷土資料館敷地内に立つ高麗門だけだとされている。
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