鎮座地である大宮市高鼻町は大宮台地の上にあり、古代からの湧水地で湧き出る水は絶えることがないという。また大宮台地の東部、北部には広大な見沼低地が深く入り組んでいて、地名にも深作、島町といった低水地にまつわるものが残っている。『埼玉の神社』によれば氷川神社の祭祀は鎮座地の湧水とかかわりが深く、この水は境内の「蛇の池」から「神池」に入りさらには見沼へと注いでいたという。 楼門西側奥にある蛇の池からは懇々と水が湧き出る様子が見て取れる。
氷川の神は古くは「常陸国風土記」に記載がある蛇神「夜刀の神」のように谷津に座す水を司る神であったと考えられている。
『風土記稿』によれば創建は第五代孝昭天皇の御代三年出雲国氷の川上に鎮座する杵築大社を遷座し、氷川神社の号を賜るという。氷川は出雲国の大河である肥河にちなむといわれている。ご祭神は須佐之男命・その妻稲田姫命・大己貴命の三柱神。神紋は八雲紋で須佐之男命の読んだ最古の和歌に由来する。武蔵国における氷川神社の分布は三百五十五を数え、足立郡が百五十二社、入間郡四十二社と多く、特に多摩川と元荒川の間に多く鎮座している。『延喜式』神明帳によれば武蔵国において唯一名神大社と記され格別の待遇を受けている。