木管楽器の口をつける部分(吹き込む部分)をリードと言って語源は葦(reed)からきているとのこと。材料として葦を使い金属やプラスティックから作られているものと区別があるらしい。同じ楽器を用いてもリードによって音が変わり奏者の好みが表れるという。ファゴット、オーボエといった管楽器は2枚の薄片を重ねるダブルリードを使い独特の音を奏ででいる。
一方、神社祭祀に用いる釜注連(かまじめ)や晦日払いと呼ばれる幣束や祓いには葦を使っている。三十年以上前では神社脇に鬱蒼と茂っていた葦も環境整備のもと焼かれては舗装され、近辺ではほとんど見ることができなくなった。(当社においては当時の葦をいまだ保管して頒布している)
古事記に於いても「豊葦原瑞穂国」という表現があるように古くから人々の生活の中に葦は溶け込んできた。
葦とはイネ科の多年草で主に水辺に背の高い姿で集まり茂るとされている。平安時代までは更科日記等に「アシ」と記されていたようだ。やがて8世紀が過ぎるころ律令制により人名や地名に縁起の良い漢字を当てる「好字」というのが流行し、「アシ」についても「悪し」にを連想させ縁起が悪く、反対の意味の「良し」に変え「ヨシ」と呼ぶようになったという。高校の古典の授業で形容の良い順に「良し⇒よろし⇒悪し⇒あし」で教わった記憶がある。
フランスの哲学者パスカルは「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、大自然と比べると人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。しかし人間は単なる葦ではなく『考える葦である』」という名言を残している。
音楽も、水辺の葦も、そして神道もすべてが奥深く感じるのは自身がかよわく儚い一人の人間だからと感じずにはいられない。