古河方面から新三国橋を下り、向古河を過ぎて北部地域が柏戸地区だ。柏戸字新田というように、ある時期以降に開発された地域だ。武蔵、下野の境にあたり、古くは古河公方足利氏に仕えた武士が住んでいたが、足利氏の衰退と共にこの地に土着し、開発したとされる。主祭神は天穂日命。
古くから相撲の盛んな土地柄で、江戸期の初代柏戸(大関)はこの地の出身であり、昭和の名横綱柏戸は十一代にあたる。また氏子の中には立行司式守伊之助に養子入りするものもあったという。柏戸地区の総鎮守として祭られていて、この他上、中、下地区でそれぞれ出流神社、八幡神社、日枝神社を祭っている。県内でも田植えの時期が早く、ほとんどの田んぼで、田植えが済んでいた。北川辺区域には多くの鷲神社が勧請されているが、時期は前後しても何れも北葛飾の鷲宮神社から勧請したとされている。鷲宮神社は出雲族による関東最古の神社とされている。
古くから相撲の盛んな土地柄で、江戸期の初代柏戸(大関)はこの地の出身であり、昭和の名横綱柏戸は十一代にあたる。また氏子の中には立行司式守伊之助に養子入りするものもあったという。柏戸地区の総鎮守として祭られていて、この他上、中、下地区でそれぞれ出流神社、八幡神社、日枝神社を祭っている。県内でも田植えの時期が早く、ほとんどの田んぼで、田植えが済んでいた。北川辺区域には多くの鷲神社が勧請されているが、時期は前後しても何れも北葛飾の鷲宮神社から勧請したとされている。鷲宮神社は出雲族による関東最古の神社とされている。