先日、福島県立美術館で関根正二の《自画像》を見た。まだ幼さの残る関根正二20歳の自画像である。
私は絵に食い入るように見ていた。私の背後を何人かが素通りしていく気配を感じた。私が鑑賞の妨げになっていたからか、あるいはこの男の肖像には興味がないのか、それとも?
画面全体は深い苔のような緑に包まれている。下方にやや赤みがある。関根の顔は左を向きながら、視線は右にずらし、それはまるで鑑賞者との対話をこばむかのようである。画面は重苦しい雰囲気に包まれている。
私の勤務する美術館では、ある作家の21歳時の自画像を展示している。全体を黄土色で塗りたてて、若さと自信、自負にあふれた力強い表情からは輝かしい未来を感じる。
だが、一方の関根には未来がない。魂が朽ちようとしている。生への渇望というものでもない、ただあるがままに魂が朽ちようとしているのだ。私は関根の姿にどうにもならぬ人の世のはかなさをひしひしと感じた。
私は絵に食い入るように見ていた。私の背後を何人かが素通りしていく気配を感じた。私が鑑賞の妨げになっていたからか、あるいはこの男の肖像には興味がないのか、それとも?
画面全体は深い苔のような緑に包まれている。下方にやや赤みがある。関根の顔は左を向きながら、視線は右にずらし、それはまるで鑑賞者との対話をこばむかのようである。画面は重苦しい雰囲気に包まれている。
私の勤務する美術館では、ある作家の21歳時の自画像を展示している。全体を黄土色で塗りたてて、若さと自信、自負にあふれた力強い表情からは輝かしい未来を感じる。
だが、一方の関根には未来がない。魂が朽ちようとしている。生への渇望というものでもない、ただあるがままに魂が朽ちようとしているのだ。私は関根の姿にどうにもならぬ人の世のはかなさをひしひしと感じた。