部屋の書棚を片付けていたら、ほこりをかぶった雑誌『民藝』が出てきました。第三百五十七号で、昭和五十七年九月一日の発行とあります。最初、この雑誌『民藝』が私の手元にある理由がわからなかったのですが、目次を見てようやく納得。項目に「師、父濱田庄司と語る」とあって、弟子の島岡達三氏、庄司の息子能生氏による対談が掲載されている記事があります。私は以前、濱田庄司に関する展覧会を企画したことが有り、そのときに買い求めた資料のひとつであったことをようやく思い出しました。
2人の対談は濱田庄司の作品に関すること、というよりも師として、父としてどのような人間であったのかが語られています。そのなかにこんなセリフがありました。これは能生氏が将来何をするべきかを父庄司に尋ねたときの言葉です。
「人と競り合って、人を蹴とばしたり、つつき合いしたりして、それに競り勝って上がっていくやり方と、まるっきり人の裏をかいて、人のやっていないことを見つけて自分の道をつくる方法と、二つある。おまえ、どっちを選ぶ?」
その後、能生氏は後者の道を選んでガラス工芸家となりました。
私も選ぶなら後者の道かな。私の性格上、あまり競争というのが好きではないから。でも…と最近の私自身を振り返ってみると、気負うあまり、いつの間にか他人と競争をすることを知ってしまい、それを始めてしまっているな…と。この雑誌を今、手に取ったのも、諌めとして運命的であったのかもしれません。私はもちろん生前の濱田庄司と面識はありません。しかし、彼の言葉は生き続けていて、私の胸に優しく染み込んでいくのを感じるのでした。
2人の対談は濱田庄司の作品に関すること、というよりも師として、父としてどのような人間であったのかが語られています。そのなかにこんなセリフがありました。これは能生氏が将来何をするべきかを父庄司に尋ねたときの言葉です。
「人と競り合って、人を蹴とばしたり、つつき合いしたりして、それに競り勝って上がっていくやり方と、まるっきり人の裏をかいて、人のやっていないことを見つけて自分の道をつくる方法と、二つある。おまえ、どっちを選ぶ?」
その後、能生氏は後者の道を選んでガラス工芸家となりました。
私も選ぶなら後者の道かな。私の性格上、あまり競争というのが好きではないから。でも…と最近の私自身を振り返ってみると、気負うあまり、いつの間にか他人と競争をすることを知ってしまい、それを始めてしまっているな…と。この雑誌を今、手に取ったのも、諌めとして運命的であったのかもしれません。私はもちろん生前の濱田庄司と面識はありません。しかし、彼の言葉は生き続けていて、私の胸に優しく染み込んでいくのを感じるのでした。