スマートフォン、いわゆるスマホが、多くの人たちの生活に浸透するようになって、10年くらいになりますでしょうか。スマホひとつで、写真も撮れる、音楽も聞ける、動画も見られる、ゲームもできる、旅券も管理できる、スケジュール管理までしてくれるなど、現在では手放せないツールです。
ただ、それがあまりにも浸透しすぎていて、もはや怖いくらい。電車のなかでも、外を歩きながらでも、ご飯を食べながらでも、みんなスマホをいじっている。私はそれを見るたびに異様な光景だなあ、と思うのです。
新潮新書の新刊『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著)を読み、我々はいかにスマホに使われているのかが改めてわかりました。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが子どもにデジタル・デバイスを使わせないようにしていたというエピソードは象徴的です。
私も以前はスマホをよく使い、隙間時間に知識をインプットしたいと思っていて、ことあるごとに使っていました。しかし、常にスマホを手放せない自分を客観視したときがあって、これは何かおかしいのではないか、と思ったのをきっかけに、スマホとは距離を置くようになりました。
もちろん、人それぞれですから、スマホへの向き合い方は自由であるべきですし、すでにビジネスをするうえで欠かせない方もいるでしょう。ただ、物事には長短があるはず。それをうまく見極めながら、社会のなかで暮らしていきたいものです。
ただ、それがあまりにも浸透しすぎていて、もはや怖いくらい。電車のなかでも、外を歩きながらでも、ご飯を食べながらでも、みんなスマホをいじっている。私はそれを見るたびに異様な光景だなあ、と思うのです。
新潮新書の新刊『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著)を読み、我々はいかにスマホに使われているのかが改めてわかりました。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが子どもにデジタル・デバイスを使わせないようにしていたというエピソードは象徴的です。
私も以前はスマホをよく使い、隙間時間に知識をインプットしたいと思っていて、ことあるごとに使っていました。しかし、常にスマホを手放せない自分を客観視したときがあって、これは何かおかしいのではないか、と思ったのをきっかけに、スマホとは距離を置くようになりました。
もちろん、人それぞれですから、スマホへの向き合い方は自由であるべきですし、すでにビジネスをするうえで欠かせない方もいるでしょう。ただ、物事には長短があるはず。それをうまく見極めながら、社会のなかで暮らしていきたいものです。