今日も良い天気でした。ただ、午後からしだいに晴天は下降し始め、今はぽつりぽつりと外でかすかな雨音が聞こえます。その雨音をかき消すように、蛙だけは、いつもと変わらずに鳴き続けています。今日はそんな夜です。
何か本を読みたい、という欲求があるものの、なかなか手をつけられないこのごろ。先日購入した「画文共鳴」はほとんど仕事に近い内容なので、そうではなくって、何か文学的?なものを読みたいのです。
気になっているのが、岩波文庫の新刊「カシタンカ・ねむい 他7篇」(チェーホフ作、神西清訳)です。あの神西清の名訳が、岩波文庫の新刊で読める。こんな幸せなことがありましょうか。いわゆる名訳と呼ばれるものは、どうも古臭いというイメージがありますが、神西訳はそんな古臭さを感じさせない、むしろ、新しさを失わないのです。神西訳はいいですよ♪
訳、といえば、雑誌で「外国文学の訳は、定期的に更新されていかなければならない」なんて文章がありました。確かに昭和初期に翻訳された文章を読んでも、いくら名訳と呼ばれても、どうも今ではしっくりこないな、と呼ばれる訳はちらほら。森鴎外訳の『みれん』も、私は受け入れられなくて。そうなれば、いつかは神西訳も更新されるのでしょうか。されて欲しくないな、と矛盾ながら思ってしまう私なのでした。
何か本を読みたい、という欲求があるものの、なかなか手をつけられないこのごろ。先日購入した「画文共鳴」はほとんど仕事に近い内容なので、そうではなくって、何か文学的?なものを読みたいのです。
気になっているのが、岩波文庫の新刊「カシタンカ・ねむい 他7篇」(チェーホフ作、神西清訳)です。あの神西清の名訳が、岩波文庫の新刊で読める。こんな幸せなことがありましょうか。いわゆる名訳と呼ばれるものは、どうも古臭いというイメージがありますが、神西訳はそんな古臭さを感じさせない、むしろ、新しさを失わないのです。神西訳はいいですよ♪
訳、といえば、雑誌で「外国文学の訳は、定期的に更新されていかなければならない」なんて文章がありました。確かに昭和初期に翻訳された文章を読んでも、いくら名訳と呼ばれても、どうも今ではしっくりこないな、と呼ばれる訳はちらほら。森鴎外訳の『みれん』も、私は受け入れられなくて。そうなれば、いつかは神西訳も更新されるのでしょうか。されて欲しくないな、と矛盾ながら思ってしまう私なのでした。
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