シャーロック・ホームズは、宿敵モリアーティ教授と争って、共にスイスはライヘンッハの滝に落下して沈んだ。
少なくとも一度は、そうワトソンが記述している。
が、実は、日本の「バリツ」を使って危地を脱していたのだ。モリアーティ教授の手下による復讐を避けて潜伏していたが、「空き屋の冒険」(1903年発表)で復活をとげる。
<われわれは滝の崖っぷちで取っ組み合ったままよろめいた。だがぼくは--これまでにも何度か役に立ったが--日本の格闘技であるバリツの心得があったので、相手の腕をさっとすり抜けた。>【注1】
We tottered together upon the brink of the flall.. I have some knowlege, however, of baritu, or the Japanese system of wrestling, which has more than once been very useful to me. 【注2】
「バリツ」とは何か。
『詳注シャーロック・ホームズ全集』【注1】の注釈によれば、E・W・バートン-ライトが名づけたバーティズ(Barititsu)のことで、彼の名Bartonから採っている。日本の柔術の方法を、ヨーロッパ人の服装と必要に応じて取り入れた。ホームズは、この日本の格闘技を1891年には心得ていた。この術に通じ、相手の攻撃に対してとっさに反撃できるようになるには習い始めて7年ぐらいかかるから、ホームズが習い始めたのはおそらく1883年から1884年にかけてのことだ、云々。
書かれたホームズものを「聖典」とし、細部に縦横に想像を広げ、かつ、論理的・歴史的探究に耽るシャーロキアンの面目躍如たる「考証」だ。
柔術の本家、日本ではもう少し詳しい事実がわかっている。バーティッツ(Barititsu)を造語したバートン=ライトは、私はまったく新しい護身術バーティッツを創始した、タニ兄弟はそのインストラクターだ、と説明しているが、内実は柔術とまったく同じものだった。
1990(明治33)年、谷幸雄、19歳、は兄の虎雄とともにロンドンに到着した。ウィリアム・バートン=ライトが彼らを招聘したのだ。
二人が教えた「バーティッツ」こと天神真楊流柔術は、「ストランド・マガジン」誌に広告が載った。
けれども、「バーティッツ」を学ぼうとする生徒は一向に増えなかった。経営困難に陥ったバートン=ライトは、教室を閉鎖した。これを機に虎雄は帰国したが、幸雄はロンドンに残った。生活の資を稼ぐため、ミュージック・ホールで興行した。
ラジオもテレビも映画もない時代、大衆の娯楽は劇場と演芸場だけだった。
ステージに上がった谷幸雄は、挑戦者を募った。負けたら大金を払う、と。幸雄の身長は160cm足らず、体重は60kg足らず。憫笑した観客は、我先に名乗りを上げた。ところが、この小さな日本人を負かした者は一人もいなかった。巴投げで空に跳ばし、寝技で失神寸前まで締めあげた。
失神した相手には活を入れて息を吹き返させた。
「日本人は、一度死んだ相手を甦らせることができるのか!」
スモール・タニとジュウジュツの名は英国中に轟き、やがてドーバー海峡を超えてモーリス・ルブランの耳に達した。まもなくアルセーヌ・ルパンは「ウデヒシギ」なる不思議な技を使ってガニマール警部を翻弄するようになる。
1905年、日露戦争における日本の勝利は、世界中を驚倒させた。日本兵はジュウジュツを使いこなすから強い・・・・。かくて、ジュウジュツは爆発的なブームを呼んだ。同年、パリにシャンゼリゼ柔術クラブが誕生し、警察が柔術を逮捕術に取り入れ、兵学校でも柔術を学ぶようになった。
フランスは、柔道の世界的普及に最も貢献した国となった。
【注1】小池滋・監訳「空き屋の冒険」(コナン・ドイル/ベアリング-グールド・解説と注『詳注シャーロック・ホームズ全集』第7巻、ちくま文庫、1997、p.210)
【注2】Sir Arthur Conan Doyle With an Intorduction by Loren Estleman, “SHERLOCK HOLMES The Complete novels and Stories vol.1,”, BANTAM CKASSICS, 2003, p.765
以上、柳澤健(ノンフィクションライター)「フランスに日本柔道は奪われた」(「文藝春秋」2012年5月号)に拠る。
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少なくとも一度は、そうワトソンが記述している。
が、実は、日本の「バリツ」を使って危地を脱していたのだ。モリアーティ教授の手下による復讐を避けて潜伏していたが、「空き屋の冒険」(1903年発表)で復活をとげる。
<われわれは滝の崖っぷちで取っ組み合ったままよろめいた。だがぼくは--これまでにも何度か役に立ったが--日本の格闘技であるバリツの心得があったので、相手の腕をさっとすり抜けた。>【注1】
We tottered together upon the brink of the flall.. I have some knowlege, however, of baritu, or the Japanese system of wrestling, which has more than once been very useful to me. 【注2】
「バリツ」とは何か。
『詳注シャーロック・ホームズ全集』【注1】の注釈によれば、E・W・バートン-ライトが名づけたバーティズ(Barititsu)のことで、彼の名Bartonから採っている。日本の柔術の方法を、ヨーロッパ人の服装と必要に応じて取り入れた。ホームズは、この日本の格闘技を1891年には心得ていた。この術に通じ、相手の攻撃に対してとっさに反撃できるようになるには習い始めて7年ぐらいかかるから、ホームズが習い始めたのはおそらく1883年から1884年にかけてのことだ、云々。
書かれたホームズものを「聖典」とし、細部に縦横に想像を広げ、かつ、論理的・歴史的探究に耽るシャーロキアンの面目躍如たる「考証」だ。
柔術の本家、日本ではもう少し詳しい事実がわかっている。バーティッツ(Barititsu)を造語したバートン=ライトは、私はまったく新しい護身術バーティッツを創始した、タニ兄弟はそのインストラクターだ、と説明しているが、内実は柔術とまったく同じものだった。
1990(明治33)年、谷幸雄、19歳、は兄の虎雄とともにロンドンに到着した。ウィリアム・バートン=ライトが彼らを招聘したのだ。
二人が教えた「バーティッツ」こと天神真楊流柔術は、「ストランド・マガジン」誌に広告が載った。
けれども、「バーティッツ」を学ぼうとする生徒は一向に増えなかった。経営困難に陥ったバートン=ライトは、教室を閉鎖した。これを機に虎雄は帰国したが、幸雄はロンドンに残った。生活の資を稼ぐため、ミュージック・ホールで興行した。
ラジオもテレビも映画もない時代、大衆の娯楽は劇場と演芸場だけだった。
ステージに上がった谷幸雄は、挑戦者を募った。負けたら大金を払う、と。幸雄の身長は160cm足らず、体重は60kg足らず。憫笑した観客は、我先に名乗りを上げた。ところが、この小さな日本人を負かした者は一人もいなかった。巴投げで空に跳ばし、寝技で失神寸前まで締めあげた。
失神した相手には活を入れて息を吹き返させた。
「日本人は、一度死んだ相手を甦らせることができるのか!」
スモール・タニとジュウジュツの名は英国中に轟き、やがてドーバー海峡を超えてモーリス・ルブランの耳に達した。まもなくアルセーヌ・ルパンは「ウデヒシギ」なる不思議な技を使ってガニマール警部を翻弄するようになる。
1905年、日露戦争における日本の勝利は、世界中を驚倒させた。日本兵はジュウジュツを使いこなすから強い・・・・。かくて、ジュウジュツは爆発的なブームを呼んだ。同年、パリにシャンゼリゼ柔術クラブが誕生し、警察が柔術を逮捕術に取り入れ、兵学校でも柔術を学ぶようになった。
フランスは、柔道の世界的普及に最も貢献した国となった。
【注1】小池滋・監訳「空き屋の冒険」(コナン・ドイル/ベアリング-グールド・解説と注『詳注シャーロック・ホームズ全集』第7巻、ちくま文庫、1997、p.210)
【注2】Sir Arthur Conan Doyle With an Intorduction by Loren Estleman, “SHERLOCK HOLMES The Complete novels and Stories vol.1,”, BANTAM CKASSICS, 2003, p.765
以上、柳澤健(ノンフィクションライター)「フランスに日本柔道は奪われた」(「文藝春秋」2012年5月号)に拠る。
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